グレート・インディアン・キッチン


インディアンムービーウィーク2021にて観賞、2021年製作、ジヨー・ベービ監督。「THANKS SCIENCE」。

オープニング、どアップで、すなわち文脈を伏せて提示される、美しく食欲をそそる調理の様子。しかし自分が家事に追われているなら、あるいは想像が及ぶなら、ああした画に疑問を抱いたり胸が苦しくなったりしてもおかしくない。いや常に立ち止まって考えるべきだ、その裏に誰かの犠牲が無いか否か(この場合、この料理は作り手にその気はなくとも奴隷生活の始まりと言える)。何か素晴らしいものを見た時、素晴らしい、で考えるのを終えてよいはずがない。

由緒ある家に嫁いだ主人公の一日は臭い生ゴミを捨てることに始まる。料理をすればゴミが出る、火の周りが汚れる、鍋や皿が汚れる、食卓(!)が汚れる、床が汚れる、それらを処理した汚水が出る。これらが映画に表れることはそうないが、料理の経験があれば知っている、経験がなくても想像できる。このいわば暗黙の了解をいつまでも暗黙にしておいていいのだろうか、想像に触れることすらなく一生を終えられる人間もいるのに。生理を「穢れ」って、お前らが出しっ放しで女に押し付けているものこそ「汚」だろ、という話だ。

作中唯一名前を持っている、おそらく不可触民である、下働きの女性は、生理中でも働くのだと言う。「生理だなんて外からは分かりゃしない」「月に4日も休んだらやっていけない」。こうした描写の数々からも、「穢れ」概念の非科学性や、義父が「何よりも尊い」という主婦という存在における様々な矛盾が明らかになる。主人公とこの女性や近所の少女といった家族の外の女達とのやりとりには人間的な温かさがある。

移民や難民にとってパソコンや携帯電話が必需品であることが伝わってくる映画は多いが、この映画からは女性にも必須であることが分かる。キッチンで仕事が探せるし(男達に阻まれ面接に出向けないが)、SNSで他の女性達と連帯できる。今の日本でもそうであるように、男達の激しい妨害に遭うわけだけども。彼らがフェミニストめとバイクに放火するのと、最後に主人公が赤い車で仕事場に乗りつける姿から、男が女に与えずにおきたいのはまず「足」なんだと思う。

いわゆるインド映画における、男女でぱっきり分かれての踊りが私には受け入れ難く苦手なんだけども、この映画の終わりの女だけの踊りにはそれとは違う意味がある。主人公が女の子達に教えるのは私達は奴隷じゃないと訴える舞踊で、それなら確かに女が踊るものだろう。この点でこの映画はNetflixで配信されている「スケーターガール」(2021年インド、アメリカ/マンジャリ・マキジャニー監督)と対だと言える。向こうはよその国から持ち込まれた文化(持ち込むのを現地にルーツを持つ人間にしているところがずるいというか上手いけれども)、こちらは伝統文化を取り入れて女子が立ち上がる。