
相当の東京映画だった『37セカンズ』(2019年アメリカ・日本)を思い出す映像の数々の後、改札を小走りにホームへ急ぐが電車に乗りそびれるフィリップ(ブレンダン・フレイザー)の場面からそこに生きる人の話になる。日本に住んで7年の売れない役者の「白人男性」がひょんなことから「レンタル・ファミリー」の一員になる。しかし「新郎」役の依頼の裏に日本で同性婚が認められていない(世間も同性愛を受け入れていない)という事情が見えると、そのことへの作り手の姿勢が全く掴めないことに戸惑ってしまう。
私立中学校の入試のための「父親」役にしても、「片親」だから不利だという問題そのものへのあまりの無視の決め込みに引っ掛かってしまう。社長の多田(平岳大)の手元の書類にもあったその理由は依頼主の母親が思い込んでいるだけなのかもしれないが、その辺りはあいまいにされる。入試を受ける当の美亜や、「記者」役として向かい合う有名俳優の喜久雄(柄本明)などフィリップを受け入れる人々の顛末も都合よく感じられてしまった。
『37セカンズ』と本作には共通する監督の信条のようなものが見て取れる。前者で脳性麻痺の主人公が病院から逃げ出したように、本作でも認知症を患った喜久雄が「脱獄」し天草へ向かう。誰かと一緒なら自由への一歩が踏み出せる。フィリップとローラ(安藤玉恵)との関係もそういうことなんだろう。監督はセックスワークには相手の心を解き放つ役割もあると考えているのだろうか。
喜久雄を誘拐したと見做され連行されたフィリップを、社員の愛子(山本真理)と光太(木村文)、多田までが一肌脱いで助ける。その後の愛子とフィリップのやりとりの場面で初めて、ああこの映画って人が人と知り合えばそのままさよならするのが惜しくなる、そんなシンプルなことを描いてるんだと分かった。そういう気持ちから面倒に陥ってしまうフィリップの物語としては面白いが、東京の、日本の物語のように大きく描いているから、それなら他の問題は?と釈然としない。