特集上映「サム・フリークス Vol.28」にて「米国文芸映画二本立て」を観賞。ロマンチックに過ぎるようだけど私としては「決して忘れない」で繋がった。『風と共に去りぬ』のままにイルマ・P・ホール演じる使用人のみが黒人という真っ白な一本目を二本目と一緒に見るというバランスもよかった(今なら二本目の製作や監督も白人じゃないだろうけど)。
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▼『愛の手紙』(1998年アメリカ、ダン・カーティス監督)はジャック・フィニィの同名小説の実に素晴らしい映画化。見ているうちにこういう気持ち、全然あると思えてくる。そして犬、『イルマーレ』(2000年韓国)も最後まで犬だった。
ラストカット、書店のウィンドーに並ぶ詩集の表紙で微笑むエリザベス(ジェニファー・ジェイソン・リー)のすてきなこと。スコット(キャンベル・スコット)のために撮られたこの写真において、彼女の側の描写は手紙と写真でしかなされない原作小説では「黒髪はきっちりひきつめられ」とあるのが映画では反対におろした金髪に花が散りばめられている。当時そういう髪型があり得たのか分からないけれど、撮影場面でふと今年見た『マッドマックス フュリオサ』で幼い彼女が逃亡しないよう髪に鈴を付けられていたのを思い出し、あれと真逆だと思い胸がいっぱいになった。後に大佐に会うのに東屋まで抜け出してくる際の、走って揺れる髪も心に残った。
道具屋で古い机に目をつけたスコットが店主に「南北戦争に興味がおありで?」と聞かれそうだと答える。「興味がある」とは?と思っていたら広々とした部屋の壁には剣、PC(コンピュータが普及し始め彼がその仕事に携わっていることが後に大いに活かされる)の脇には大砲の模型、戦地の兵達のジオラマのようなものも飾られている。原作から過去を南北戦争の時代に少々ずらした本作は、そんな彼が、戦争とは愛する人同士が引き裂かれるもの…個人に降りかかるものだと実感する話なのだった。
「外国語を習う場面のある映画」というものがあり(サム・フリークスで掛かった中なら『ローカル・ヒーロー』がそう)似ているようでそれぞれ微妙な意味を持つものだけど、ここではスコットの母(エステル・パーソンズ)がイタリア語をテープで流しながら広い世界を見なきゃと登場する。原作には出てこない、あの頃のインキと切手をくれる彼女の「届いたらすてきでしょ?」がジャック・フィニィの精神であるように私には思われた。
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▼『ザ・ビンゴ・ロング・トラヴェリング・オールスターズ&モーター・キングス』(1976年アメリカ、ジョン・バダム監督)はジョン・バダムとクレイグ・モデーノの著書『監督と俳優のコミュニケーション術 なぜあの俳優は言うことを聞いてくれないのか』に撮影中に起きたトラブルと反省の例としてちらと出てくるのでどんな映画だろうと思っていたんだけど、二グロリーグに無知な私には遅ればせながら大変響いた。客席のカットが多いのもいい、Netflixのスタンダップコメディは例えばアジア系のコメディアンなら同じアジア系と見えるお客達の盛り上がりを見せてくれるのが楽しいものだけど、あれと同じよさがある。
「お前らが老いぼれになってもおれはオーナーだ」とはまさに資本家のよりどころ。ニグロリーグのチームのオーナー、サリー・ポッター(テッド・ロス)の搾取に耐えかねたビンゴ(ビリー・ディー・ウィリアムズ)は「(同じ黒人である)やつが支配できないところへ出て行こう」とライバルのレオン(ジェームズ・アール・ジョーンズ)らを誘い自分達のチームを結成、白人チームとの試合に乗り出す。ユニフォームにはチーム名「ザ・ビンゴ・ロング・トラヴェリング・オールスターズ&モーター・キングス」を分割、ト音記号だけの者もいる。全てを分け合うのが原則で、入場料の5割との条件を通したギャラは等分。しかし喋れないレインボーが葉巻の箱の金庫を盗まれる、「やつらはおれ達より黒いのに黒人じゃない」と「キューバ人」を目指すチャーリー(リチャード・プライヤー)が襲われるなどの被害で金が飛んでいく、どころか連帯は壊れかける、毎度のことながら自分達のせいでなく。
物語の終盤、ポッターからこれまたこすい提案をされたビンゴがどうするのかと思いきや腹を殴られ喧嘩別れしたレオンをあっさり頼る、ああいうのがいい。Netflixのドキュメンタリー『ブラック・イナフ?!? アメリカ黒人映画史』でビリー・ディー・ウィリアムズが「あの映画は好きだ、ビンゴが楽しいキャラクターだから、ふざけてて」と言っていたのがよく分かる。ラストシーン、ニグロチームとの試合に勝利したビンゴとレオンは球場を後にする(この場面の黄色いスーツを始め本作はビリー・ディー・ウィリアムズのおしゃれな装いも見もの)。若いエスクワイヤ(スタン・ショウ)がブルックリン・ドジャースにスカウトされたことを受けレオンは二グロリーグの終焉を口にするが、ビンゴはこれからもまあ、ぱーっとやろうぜ、おれ達なら絶対に負けないとその場を盛り上げ、二人が抱き合うのに映画は終わる。マイノリティにとって時代とは常に過渡期であり、その中をどう生きるかなんだ、問題は、と私には思われた。