HOW TO HAVE SEX


食べながらおしっこし、吐いたそばから飲み、しきりに愛してると言い合って手を繋ぐ、卒業旅行初日の親友三人だけの時間。翌朝のプールでいわばセックスの気配に当てられ部屋に戻ってきたタラ(ミア・マッケンナ=ブルース)の、ベッドのエマ(エンバ・ルイス)とスカイ(ララ・ピーク)に向ける弾けるような笑顔には、私にはセックスへの期待というより二人と一緒にこの時を過ごしている楽しさが表れているように思われた。もしセックスしたいならあの笑顔のままでそうできるべきなのに、女には「やりたいセックス」をやる機会がなく、やりたいとなると男に合わせるしかなく、ゆえに笑顔を保てない。

これは同意を得ない性行為という性的加害を扱った作品である。タラを海辺へ連れ出したパディ(サミュエル・ボトムリー)が「面白い女だな」と体をふと寄せてくる、海へ放り込んだ後に「震えがやばい」とからかってくる、あれらの言動がものすごくリアルで(つまり、体験が蘇って)気分が悪くなった。本当の、とは何のことだかという感じだけど、普通の、およそのセックスは、たとえ「やりたいセックス」そのものでなかろうとああいうものではない。女には明らかにやる気がない。しかし少なくとも映像を見ながらなら説明できるが口では難しい。映画の終わりにタラが「だって寝てたのに…」と、この時ではなく次の被害について口にするのは、直近の話をしていたからというのもあるけれど、最初のは言えないからだ。これがあまりに胸に痛かった。

私は寝ないもんね、と言いつつ三人は、いやマリアに集う若者達は疲れれば寝る。タラはこの要領がうまくなく安眠することができない。「彼?彼氏じゃないよ、家族みたいなもの」と言う女の子に迎え入れられたコミュニティ(前日のクラブの「仲間はどこ?」なんて場面には、これまで思ったことなどない「動物の群れ」という言葉が浮かんだ)で遊んだ翌朝の太陽の下と、「一緒にいると楽しい」バジャー(ショーン・トーマス)とのお喋りの後でそっと目を閉じ運ばれたベッドの中にのみ安堵感がある。意外なところでよく眠れるというのもまた覚えがあるが、実は意外じゃなくそこには理由がある。エマの「よくない」「私がついてるよ」はタラと同時に映画の観客へ向けての言葉に思われたけれど、彼女が帰ってよく眠れることを願った。