あの夏のアダム


トランスジェンダー映画祭とノーマルスクリーンのコラボレーションによる配信にて観賞。脚本は原作小説を書いたアリエル・シュラグ、監督はリース・アーンストによる2019年アメリカ作品。
シスヘテロ男性の高校生アダム(ニコラス・アレクサンダー)が姉ケイシー(マーガレット・クアリー)を訪ねたニューヨークのクィアコミュニティで年上のジリアン(ボビー・サルボア・メネズ)に一目惚れするもトランス男性と勘違いされてしまうという内容なんだけど、どんな映画も要約できるものじゃないけれど、実に最初から最後まで見てと言うしかない一作(だから配信で見られてありがたい)。

「初対面で誤解されて、好かれたいからそのまま嘘をつき続ける」のはお話の型で、そんな映画は幾らもあるが、この映画のそれには全く違う意味がある。年齢の嘘ならば「ひと夏のことなんだ、黙っていればいい」と言ったイーサン(レオ・シェン)が「弱者のふりをしてセックスしたのか」と激怒する。そのことをアダムと見ている私達が再確認するのが肝だ。
「誤解が解けた」後も関係の継続を望むアダムにジリアンは「トランスとつきあいたいと思うなんてトランス嫌悪だよね」「私達のしたことは間違っていた」と別れを告げる。この、「私とあなたの間」を越えた、二人(あるいはそれ以上)の関係が社会に対して真摯であるか否かという問題を描いている映画ってあまりない…自らを省みても、そもそも多くの人はそのことについて考えていない、考える必要がないから。

舞台はテレビでブッシュの演説が流れる2006年。姉の家に着くや同居人ジューンの「PMS調査に参加してるからトイレに尿瓶が置いてある」に「ぼくは気にしないよ」と言って「聞いてない」と返されるアダムが、『Lの世界』パーティを皮切りにクィアの世界を知り、「姉が結婚するまで自分もしない」と掲げてアライとして歩く(がケイシーは現場で目当ての女性の「同性婚が優先事項になることに反対」側につく)。トランスと偽ると決めると検索して当事者の動画から知識を得る。行きがかり上women only(「トランスは歓迎」)の場に入るなど乱暴な勉強の仕方の数々を、当事者はどう見たんだろうか。
パーティでの姉弟の「姉さんは周りの人の言葉を真似してるだけ」「それじゃああんたは一人でやってみな」、ジューンにとってジリアンは「ヒーロー」だったという事実などから、私達は繋がっているということを思う。「何が違うかじゃなく見た感じが大切」と言っていたイーサンは、それじゃダメかも…と映画の終わりにアダムにあることを教えてくれるのだった。