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アンブリン・エンターテインメントのロゴににこにこした後、「生きる意味とは何か」なんてナレーション(ジョシュ・ギャッド)に驚いていたら、なるほど、なるほど。宣伝文句を少々歪めて受け取っており、同じ相手に会うために生き返るなんて反則じゃんと思っていたのが、オープニングの数分で失せた(犬が可愛い!からだけじゃないよ・笑)「一度目」はいきなり死亡!(というのは原作通りなんだろうけど)に始まる、ハルストレムらしい軽やかさのおかげ。
程無く車のラジオからブルース・チャンネルの「Hey Baby」が流れてきて、ああそっか、「ダーティ・ダンシング」の時代かと思う。後にキューバ危機の話題が出て62年の夏とはっきりする。食卓で新聞を広げたパパと家族のやりとりに不安を覚えた少年イーサンが外に出て「キャプテン・アメリカがいれば大丈夫」と荷箱の蓋を盾につぶやくと、犬のベイリーが彼の心を癒そうと遊びに誘う、二人は初めて「飛翔」し、それを見たパパが作中唯一の笑顔を見せる。なんてことないシーンの連続だけど、このくだりは圧巻だった。
「洋裁」という言葉が思い浮かぶワンピース姿(全部欲しい!)のイーサンの母(ジュリエット・ライランス)と、コイン集めが趣味のセールスマンの父(ルーク・カービー)。以降、シカゴ警察が銃を手にする70年代末から若いカップルが荒れた暮らしをする金融危機の頃らしき2000年代末までを、何度も生まれ直す犬のベイリーが串刺しにしてゆく…ような映画だった(笑)人間達を描きながらもやはり犬が主役なのだと思わせられたのは、ベイリーが最後に「あの家」に還って「自分を見つけ」(I smellt me)るから。振り返ると冒頭の「Hey Baby」は、彼が「あの家」を初めて訪れる時に流れるのだった。
イーサンは8歳でベイリーと一緒になり、進学で離れ離れになる。私も9歳で犬を飼ってもらって上京で別れたから、そりゃああんなふうに「繋がって」はいなかったけれど、自分が大人にならんとしている時に犬は死に向かっているというあの悲しさが身に染みた。ハンナ(ブリット・ロバートソン)がさよならの前にベイリーの顔を正面から手でぐーっと撫でる感触とか、カルロスがベッドに入れたベイリーのお尻に手をちょっと置いた時の感触とか、不思議なもので、あれからずっと犬なんて飼ってないのに体が覚えていて、ぞくっとした。犬と「触れ合う」シーンは全て、自分の記憶と重なった。
最後に一つ、失業し酒浸りになってしまったパパがママに暴力を振るった夏の晩、当人含め皆当然の様に納得してその日のうちに別居することになるのが、(少なくとも今の)アメリカ映画だなと思った。「この時からイーサンが群れのボスになった」と語ったベイリーが、物語の最後には、大きく素敵なファミリーをイーサンにもたらす。