
「イギリス人の父と日本人の母を持ち、大阪の公立小学校を卒業しインターナショナルスクールで中高と学びアメリカの大学に進学した」山崎エマ監督(『モンキービジネス おさるのジョージ著者の大冒険』(2017)はすてきなドキュメンタリーだった)が世田谷区の塚戸小学校の一年間を追って編集した本作は、教科の授業の様子が皆無というかなり特殊な学校ドキュメンタリー(運動発表会の準備を体育の時間に行うなどは多々)。作中の講演でも触れられるように教科以外の時間に日本の小学校の特徴がありそこで「日本人」が作られるというテーマだからだけど(英題はThe Making of a Japanese)、私は教科の授業に在る教科そのもの以外の要素が好き、というか教科の授業を通じて人間性が育つのが理想だと思っているので寂しく感じた。
日本の学校においては、教科以外に力を入れるほど教科の授業が「うまくできる」。あれだけ恵まれた児童と教員が努力していれば、浸透しきった規律正しさにより授業はスムースだろう。しかし講演でも教科以外の指導は規律正しさを育てるのと同時に連帯責任を強いる「諸刃の剣」と言っていたが、私にはその一方が肥大化しているように見えた。私が子どもの頃にも公立小学校の教員だった頃にもそう見なかったことに、互いに評価させる指導も功を奏してか、給食を食べた後にスプーンをどこに置くか(!)なんてことまで時に楽しそうに指摘し合っている。終盤二年生になった女子らが「私達って何だろうね」「心臓の一部だよ」「一人でもずれたら…」と話しているのは恐ろしかった。そもそも剣が必要なのだろうかと思わざるを得ない。しかし教員の側もその剣を使わずに子どもを教えるやり方を知らない、全くもって。
放送委員の六年生の男子は、運動発表会の縄跳び競技(『ダンシング・ヒーロー』に合わせて皆で技を見せる)の二重跳びが出来ず、家で一人でひたすら練習して成功させる(コツを教えずして何が「授業」か、と思う)。すごいことだけど、私としては、なんでこんなことを一生懸命やらなきゃならないのかという切なさの涙がおさえられなかった。それだとて勝手な感情だけど。だって彼は「大人になりたくない、子どものままでいたい」なんて言う。学校側が「小学校は社会に出てきちんとやっていくための準備をする場所」と表明しているから、今も大変なんだからきっともっと大変だと思っているんだろう。ずっと楽しいんじゃだめなのかと思ってしまう。日本人は「楽しい」のが怖いんだろう。
面白かったのは子ども不在の教員だけの時間が結構な割合で挿入されるところ。それあっての教員だから。尤も私が一番見たい研究授業のための話し合いというようなものはなく、集まって大学の先生の講演を聞いたり校外活動で児童の就寝後に会議をしたり、行事の後に職員室で年長の先生が若い先生にアドバイスをしたりといった場面が主。千代紙みたいなパッケージに着目したんだろうか、卒業式の後の職員室で配られたお弁当が何度も映るのが、行事の日の「教員あるある」で懐かしかった(教員同士の夫婦や家族の間では今日のお昼どんなんだった?と話題になるものだ、毎日給食だからね)。