幸せのアレンジ


イスラーム映画祭4にて観賞。2007年アメリカ、ダイアン・クレスポ、ステファン・シェイファー監督作。

映画は「実験室」ニューヨークの小学校の教員研修に始まる。これだけでも珍しいのにその内容が多人種対応というのが面白い。ムスリマのナシーラが自らの意思で着けていると表明したヒジャブにつき校長が「慎みを表すものなのにきれいだから目立ってしまうわね」と頓珍漢なことを言うのが気になっていたら、かつて女性運動家であった彼女はナシーラと正統派ユダヤ教徒のラヘルに対し自身の「自由」を押し付けてくるのだった。

尤も制作から12年経った今現在、この映画自体にこの校長のような要素が感じられるのも面白い。見合いを押しつけてくる両親やコミュニティについてのナシーラとラヘルの「父さんの血圧が心配だって母さんが言うの」「それは母親の常套手段よ」「私達も言うようになるのかな」「こんな緊急時にはね」なんてやりとり等に、ある枠からは出ない限りの物語であることが表れている。

ただしこの映画が訴えたいのは、おそらくラストシーンの「思い通りに変えればいい」であろう。ナシーラとラヘルがそれぞれの夫について喋っているのだが(このセンスも古いのだが)、これは中盤年配の女性の「女が完璧な男を望むのは当たり前(だけどそんな人はいないから皆あきらめている)でしょう」を受けている。何につけもう「あきらめる」必要はないと言いたいのだ。

とりわけ小学校では、教員同士の仲がいい、いやよくはなくとも協力し合っていることが子どもにとって重要なので、子どもが先生同士の仲に言及するという発端は面白い。またここで彼らが口々に言うのは全て大人の受け売り。子どもが学校に持ち込んでくるのは社会である。