ナイジェリアのスーダンさん


イスラーム映画祭4にて観賞。2018年インド、ザカリヤ監督作。

映画が始まるとながーいクレジットや謝辞をバックにサッカーの試合周りのあれこれの音声が流れる。後に主人公マジードが「こんなに泥臭い(原語ではどんなニュアンスなんだろう、この上映の日本語字幕はとてもよかった)実況やファンのいるサッカーはワールドカップにはない」と冗談まじりにも誇らしげに言う、それらの声である。

冒頭から7人制サッカーチームMYCの面々が「同じ釜の飯を食う」日々の様子が軽快に描かれるが、次第にマジードが義理の父を無視するばかりじゃない、サッカー以外には立ち止まったり考えたりすることを全くしないのが浮き彫りになってくる。質屋での「おれにも支えてくれる嫁さんがいたらなあ」は誰かを支えることをまだ知らない彼の生き方を表しているように思われた。

ナイジェリアからやってきたサミュエルは「スーダンさん」と呼ばれ選手として活躍するが、怪我で安静を余儀なくされる。この時点で、何らかの理由があって(端的に言って「役に立つ」という理由で)居場所を得た外国人がその役どころを失っても居続けられるのか、できるに決まってると私は思うけど、それに纏わる問題を描いているのかと思いきや、ちょっと違うのだった。「サッカーが好きじゃないやつなんていない」かもしれない、でもサッカー好きなやつの背景は本当に色々なんだという話だった。マジードや「スーダンさん」の普通っぽさがとても効いていた。