スタンリーのお弁当箱



予告編から想像してたのとはちょっと違うところを刺激された。私が「インド映画」を苦手な理由は色々あるけど、これはとても楽しめた。私にとっては「普通にかっこいい」男性の姿が見られたのも一因かな(笑)


映画は「製作に協力してくれた教育関係者と全ての学校に捧ぐ」という文章に始まる。その後も冒頭から色々なメッセージが出てくるので、この時点で(他の映画とは違った意味で)思い入れのある映画だと分かる。
物語が終わるとその「メッセージ」はよりはっきりする。「撮影は全て土曜日に行われ、子ども達が学校を休むことはなかった」「インドの児童労働者の数はおよそ5千万人」。続く「興味を持たれた方はこちらへアクセス」は日本語に訳さなくてもいいのかなと思ったけど、訳さなきゃ通じないような人(私)が見ても分からないからいいのか。


きらきら光る木の葉と木洩れ日。先日テレビで放映されていた「アイス・カチャンは恋の味」というマレーシア映画、内容は私の好みじゃなかったけど、映像が似ているような気がしてふと思い出した。ハリウッド調でもなければ土着そのものでもない、地面に近いキラキラ感っていうか。
冒頭の一幕にまず心惹き付けられる。まだ誰も居ない学校にやってきたスタンリーの、剥がれ掛けた胸ポケット、破れたかばん、あざのある顔。一人きりの教室で机に突っ伏してしばし目を閉じた後、突如うなり声をあげる。終盤に至り、そりゃそうだと思う。
ヴァルマー先生の方も、シャツのボタンから糸が飛び出しているが、彼は大人なので何でもない。彼は全ての「欲」が食欲に集約された、怪物のような存在だ。描写がミニマムすぎて「妙」だし、最後に廊下を歩いて去る場面で文字通り姿を「消す」のも変だ。キリスト教に関係あるのだろうか?


子ども達の「手」が印象的。お弁当の時間は、フォークを使ってる子が一割いるかいないかという感じ、当たり前だけど手づかみの食事が皆上手い。校内のあちこちに立って食べてる子もいるのが日本とは違う。
その他、文字を書いたり(スタンリーの隣の子が、ふんがーって感じで斜めって書き取りをする様子が可笑しい)、「掲示板からはがしてきた」ぼろぼろの紙を開いて見せたり、それを受け取ったり、スタンリーの「発表」に拍手をしたり。最後に、いつもマリア様に合わせていたスタンリーの手が、帰宅後に何をしていたか…いつもお皿を洗ったり机を拭いたりしていたことが分かり、切なくなる。


例えばスタンリーが「夢」を見つけて走り出す場面では「少年が羽ばたき始める」といったように、「インド映画」でお馴染みのミュージカルじゃないとはいえ、要所要所でその場面を「要約」する曲が流れる(歌詞の字幕がつく)。最後のそうした曲は、スタンリーが「あそこ」で眠りにつく際に流れるが、その歌詞の締めは「よくもわるくも、これが我が家」。何だか気を取られてしまった。
翌朝登校するスタンリーが、寝ているお兄ちゃんに「起きてよ」「お弁当ありがとう」「行ってきます」と声を掛けるのがいい。彼が出て行くドアの外に輝いている像は誰だろう?


教員の描写も面白い。校長室の椅子から一歩も動かない校長にむかついていたら、最後には教室を見回るようになったのでよかった。また「補講のせいで預けられなくなって」息子を連れて仕事にやってきた教員が、コンサートの件を聞いて校長にまず一言「引率は教員か親か、どっちがやるんですか」って、そりゃそうだ(笑)
教員ならきっと皆、あの美人先生のように子どもに接したいけど、色々違うから、きっとなかなか、あんなふうには出来ない。彼女がスタンリーのあざに気付かなかったのが悲しい…「気付かなかった」と「過去形」では言いたくない、そういう映画だ。