「鉄のカーテンに阻まれた男女の愛を描いたロマンチックコメディー」という紹介文と、カティ・オウティネンが主役というのに惹かれて、フィンランド映画祭にて観賞。監督タル・マケラ、脚本は初期カウリスマキ映画の編集を担当していたライヤ・タルヴィオ。
映画としては少々薄ぼんやりしているけれど、カティの瞳の雄弁なこと、アキが「役者は喋らずとも目だけで伝えられなければ」と言っていたのを思い出した。
1962年。チェコのジャズバンドのサックス奏者ヤン(ミロスラフ・エツレル)は、平和友好祭に出演するため20数年ぶりにヘルシンキを訪れる。当時彼と愛し合っていたエルサ(カティ・オウティネン)は、独身のまま町で婦人帽子店を営み静かに暮らしていた。
先日「ストックホルムでワルツを」(感想)を見たばかりなので、お隣の国の同じ時代の話かあと面白く思う。調べたらモニカ・ゼタールンドは「歩いて帰ろう」や「I New York」を収録したアルバム「Ahh! Monica」を発表した頃、ユーロビジョン・ソング・コンテストに参加するのが翌年。本作中にもユーロビジョンの話題がちらりと出てくる。他、ガガーリンがスピーチをしたり、アメリカから来た青年の「帰国したらマリリンの自殺の原因を調べる」というセリフがあったり。
カウリスマキ映画で言えば「愛しのタチアナ」('95)の舞台がこの数年後。フィンランドの片田舎からヘルシンキに向かう途中、マッティ・ペロンパーが夕食の席を盛り上げようと「62年にチェコに旅行した時の話」をするが死ぬほどつまらないという場面がある(笑)
若草色のタイトなワンピース(本国版ポスター参照)で登場するカティは、ほぼ全編を通じて、カウリスマキ映画じゃまず見られないぱりっと洒落た姿。一日目はやはり若草色のガウンやドレスに次々と着替え、二日目には黄色いツーピース。エルサの姪のミンニも同様にとても素敵で、ああいう格好をしてみたくなる。
彼女達の華やかさは「資本主義」の表れでもある。冒頭、ヘルシンキの空港に着いたチェコのバンドメンバーは、女性達の色とりどりの装いに目を奪われる(「対比」として、オープニングではチェコの女性の子どもも大人も同じ服装が映る)しかしラストシーン、鉄のカーテンから「自由」になった彼らは、男も女も似たような、全てが入り混じったような格好になる。
解体される前のチェコスロバキアを知っている年長のヤンと、バンドのお目付け役の青年アダム(クリシュトフ・ハーディック)とのやりとりには少々の悲哀がある。アダムは「資本主義の授業の成績は『5』だった」と胸を張るが、「なぜ(一介の労働者である)エルサの家に電話があるんだ?」に始まり、授業じゃ習わなかったのであろうポール・アンカやプレスリーについてヤンに尋ねる。共産圏ギャグとしては、仲間が「ツイストを踊っているところをKGBに見つかって報告される」のが白眉。私としては全編あのノリでもよかった。
「フィンランドは資本主義といっても所詮はソ連の下にあるんだ、ノルウェーにはNATOもいるのに…」というような、私にはよく分かっていない「同じ北欧でも国それぞれ」が窺えるセリフが面白い。例えばレニングラード・カウボーイズなどの「ロシアごっこ」は、フィンランド人だから出来たんだなと改めて思う。