街のあかり / 二人は、虹の向こうの滝を、見られるだろうか?


アキ・カウリスマキ2006年作品。公開初日の7月7日、ユーロスペースにて。
劇場のカウンターには、作中出てくるカーネーションが一輪、飾ってありました。



パンフの横に、アキ映画のサントラ「Jukebox - Music in The Film Of Aki Kaurismaki」が置いてあった。日本で発売されてたの、知らなかった!早速買ってもらう。アキの顔がジャケというのが嬉しい(笑)46曲入りで、ジョー・ストラマーの「Burning Lights」や、「ラヴィ・ド・ボエーム」で前衛?音楽家のショナールが披露する新作などの貴重なナンバーがたくさん。
ちなみに「ヘルシンキのロケ地めぐり6日間」というパンフもあった(こんなツアー)。
整理券を受け取り、近くのタリーズでひと休みしていたら、同行者に「すごく楽しそうなのが伝わってきて嬉しい」と言われた。そりゃあ「生涯数度の特別デート」の日、幸せは隠せない。


ヘルシンキにひとり暮らす夜警員・コイスティネンが、マフィアの策略により、その情婦に誘惑されて罪をなすりつけられ、刑務所に入れられ、散々な目に遭うが、最後に幸せへの切符に触れる物語。もちろん犬が出てくる。


最初から最後まで、「あ〜またこんな映画、作っちゃって!」と、身も心も気持ちよく揺り動かされっぱなしでした。
冒頭から「警備員だって人間だ」というおなじみのセリフ。後半「コイスティネンが刑務所で過ごす時の経過」を示すのは、「ラヴィ・ド・ボエーム」のダブルデート場面を彷彿とさせる、枯葉の舞う地面、小川のせせらぎ、そして咲き乱れる白い花…のカット。見慣れた、でも、余分なものが更に削ぎ落とされたようなその手際に、胸がつまるばかり。
登場人物、とりわけコイスティネンのヘビースモーカーぶりは、いつもに増して相当なもので(ということは本当に相当なものってこと)、アキの反ハリウッド精神を感じて、笑みがこぼれてしまった。



アキ映画で恋におちる男と女は、いつも「青と赤」だ。
コイスティネンの青い制服。
誘惑者ミルヤは、彼と逢う際、デニムの上着の下に赤い服を着込み、唇を同じ色に塗る。
コイスティネンを秘かに愛するソーセージ屋のアイラも、「うわっぱり」の中には赤い服。しかしその色は、ずいぶんくすんで慎ましやかだ。彼女は彼への思いを表さず、彼はまだ、彼女のことを恋する眼で見ていない。
ちなみに、ちらっと登場したカティ・オウティネン(スーパーのレジ係!)も、鮮やかな赤色の制服姿だったのが嬉しかった。


アキ映画に出てくる男は、いつもぶっきらぼうだ。
コイスティネンは、ミルヤを送った際、助手席のドアが閉められると、彼女の方を一瞥もせず車を発進させる。
しかし自宅にやってくるとなれば、ドアチャイムが鳴ると、一張羅のスーツの「上着」を着こんで出迎える。用意したパンだって、一人で食べるときのような固いやつじゃない、まるい、あったかいやつだ。
ちなみに食べ物に関しては、いつものアキ作品より、ちょっとだけ美味しそうだった。でも「焼きたてのパン」というのは…イチから焼いたわけじゃなくて、きっと、あっためただけだよね。


他のアキ映画の例にもれず、悲惨な目に遭う主人公以外も、皆、全然楽しそうじゃない。
(もっとも私は、ああいう世界に暮らしてみたいと思ってしまうんだけど・笑)
冒頭、コイスティネンを仲間はずれにして飲みに出かけた同僚達は、酒場でカウンターに向かってずらり、三人そろって黙々とジョッキをかたむける。マフィアのボスが暮らす部屋は、壁一面の窓からヘルシンキの町を望めるが、その眺めは、いかんせん寒々しい。お金があるなら別の国にでも引っ越せばいいのに、とも思わされるが、ミルヤの言うように「どこだって同じ」なのかもしれない、彼等にとっては。


コイスティネンを演じたヤンネ・フーティアイネンは、性的に好きなタイプの顔だ(ワンコ系。同行者は貼ってあったポスターのマストロヤンニに似ていると言っていた)。自分にとってアキ映画は、そういう性的な面倒から解放された快楽を提供してくれる意義もあるから、観ていてどうも、落ち着かない気がしないでもなかった。
眉間にシワが掘り込まれているかのようなコイスティネンだが、作中ただ一度だけ笑顔を見せる。刑務所内で仲間と語らっているとき。このときの彼の顔は、役者の、というより素の表情に見えて、ふしぎなカンジがした。
最後のシーンには、いつ爪、切ったんだろう?と思ったり。


(ミルヤとボス、車中での会話)

「なんでこんなこと、私にやらせるの?」
「イヤなら自分で働け」

↑コレ、可笑しかった…