ラプシーとドリー



アキ・カウリスマキが愛するフィンランドの映画」にて観賞。1990年、マッティ・イヤス監督作品。マッティ・ペロンパーが生きている、ただそれだけで胸がいっぱいだった。アキ映画でお馴染みカリ・ヴァーナネンもいい役で出演。


冒頭、なぜ暴力を振るわれたことを黙っていたのかと問われたラプシー(マッティ・ペロンパー)が「刑務所ではドアも開けてもらえるし本も読めるし…」と語る長いアップの画に、これがアキが「カメラに愛されている」と言ったあの顔なのだと思う。もっと若い頃に出演したアキ映画での姿より随分ぴちぴちして見え(笑)例によって灰が落ちるぎりぎりまでタバコを吸う手の美しさに目を引かれていたら、「帰れソレントへ」をバックにしての出会いにおいて、ドリーは「あなたは優しい人ね、手がきれいだから」と言うのだった。


出所したラプシーはまず、高価ではないがそれなりのスーツに着替えて髪も整える。店に入って更に鏡を見て容姿を整える。しかし作中、何度も裸になり髪を乱すはめになる。この映画のマッティの全裸シーンの多さ(尻どころか局部も見せる)は、彼が人のために、あるいは人のせいで、丸裸になってしまう男なのだということを表している。


この映画の暴力描写はアキ映画のそれに似ている(もしくはお国柄というやつなのだろうか?笑)しかし中盤ラプシーが「俺の出張中に他の男と出掛けやがって」とドリーの頬を張る、あの撫でるというよりはかろうじてビンタ、という感じは何なのか。マッティ演じる男がそういうふうにビンタをするということなのか、ああいう描写でビンタを表現し得ると考えているということなのか、あるいは…いずれにせよ、あれこそがマッティの、アキ映画では色んな意味で見られない部分だ。


マッティありきの映画だけれど、ドリー、いや二人の描写もとてもよかった。「あの頃」の写真ばかりに囲まれ過去に生きているドリーだが、あの頃には分からなかった本が今は「分かる」。それが生きるってこと。「明日パリに行く」と告げる場面のたった一つの表情で、彼女の気持ちとストーリーを全て語るやり方もうまい。はみ出し者二人がまた道を分かつラストに胸打たれた。