ル・アーヴルの靴みがき



公開前日、特集上映「おかえり!カウリスマキ」で、「ル・アーヴル」の前日譚とも言える「ラヴィ・ド・ボエーム」('92)を観る。スクリーンだと、マッティ・ペロンパーの視線や唇の左端の微妙な動き、壁面に映る影、小物や通りの名前などがはっきり見え本当に楽しい。ショナールが車を買った時、キーにエッフェル塔着けてるの、初めて気付いた!
観賞後「ル・アーヴル」の予告編を思い返し、アンドレ・ウィルムスの大きくなった腹部に、あの頃から今までの穏やかな日々がつまってるように感じ、あたたかい気持ちになった(この印象は実際に「ル・アーヴル」を観た後、ちょこっと変わる)。



「常識は忘れよう、希望を持つんだ」


フランスの港町ル・アーヴル、マルセル・マルクスアンドレ・ウィルムス)は「靴みがき」をして妻アルレッティ(カティ・オウティネン)と暮らしている。いわく「人の身近にいられる職業は羊飼いと靴磨きだけ」。通行人の足元に目を光らせ「革靴」を探し、高級靴屋の店員に睨まれながら刹那の商売をする。
「若い頃はパリで自由気ままに暮らしてたものだ、雑文を書くと仲間に受けてね」という、「ラヴィ・ド・ボエーム」へ目配せしたセリフがあるのが嬉しい。でもって冒頭の「客」があの人(名前忘れたけど常連役者)、近所のパン屋の主人がイヴリヌ・ディディ(「ラヴィ」におけるマッティ・ペロンパーの恋人ミミ)、バーの主人が超常連エリナ・サロ…というんだから、開始早々わくわくしてしまう。


アキが「移民問題」を取り上げたらどうなるか。前述のようなオールスターによる、ボーイ・ミーツ・ガールじゃないけどボーイ・アンド・ガールがあり、仲間同士の助け合いがあり、ロックがある。一見いつもと同じだ。しかしコンテナが開いた時、密航者達の顔を順に無音で(途中から音楽付きで)映していくのと、マルセル達が観ているテレビの移民問題のニュースが長々と映し出されるのは、これまでの作品には無かった空気で、彼の気持ちが見て取れる。アキ映画ではいつも、船で旅立つのは主人公だったけど(見送る側の視点で終わるものはあるけど)、本作では主人公が送る側になるのも感慨深かった。そして物語は、先にあげた医師(ピエール・エテックス)の言葉そのままの結末を迎える。ちなみにこれに限らず、作中の彼のセリフはアキ映画の本質を突いたものばかりだ。
コンテナの場面に始まり、移民局やキャンプにおいて、「移民」たちがしっかりと映し出される。顔、表情、視線。彼らの「食べ物」も大きく映される。移民局で食べ散らかされてる豆、キャンプで長ネギをすごい切り方して作られる(笑)シチュー。マルセルは煙草と交換でシチューの輪に入る。


マルセルは密航者の少年イドリッサを保護し助けながら、妻アルレッティの病気の回復を願う。この描写は面白く、そもそも彼女が何の病気なのか全く分からない。お腹を押さえて突っ伏したり、部屋の隅にうずくまったり、夫に身を寄せ車で病院に向かったりする姿を見ていると、具体的な「病気」というより、人生の「落とし穴」とでもいうようなものにはまった感じがする。
マルセルによれば、彼女との出会いは「ホームレスだった時、側溝に落ちてるところを助けてくれた」。夕方帰って来た彼からお金を受け取り夕食を作り(その間彼を飲み屋へ行かせ)、彼が眠ってからその靴を磨く姿はまさに「誰にでも過ぎた女」。でも昼間はのんびりしてるのかもしれないから、交代で働いてるようなものだ。「この花は無駄遣いじゃない、安売りしてたんだ…あ、でも高い花だよ」に始まる病室での二人のやりとりは、まさにカウリスマキ節。彼の映画では常に、初対面であろうと長年のパートナーであろうと、男と女はああした誠実でぎこちない言葉を交し合う(しかし今回は珍しく、「嘘」ゆえに、互いによそを向いて場面が終わる)。


アキ映画初登場のジャン=ピエール・ダルッサンによる警視の姿に、主人公と「対峙」するという点でふと「コントラクト・キラー」の殺し屋を思い出した。でもあんな「面白い」役じゃない。本作の彼のようなシンプルな役を作るのは「勇気」がいると思う。
ゲストとしてジャン=ピエール・レオーも出演、まずは手、それから声で彼と分かる。後の場面でもたくさ携帯電話を掛ける姿が笑える(登場シーンでは「黒電話」を使用)。港町の片隅のカウリスマキ村に「あのレオー」がいて、あんな意地悪してるってのが何とも言えず楽しい(笑)