リュミエール


映画作家ジャンヌ・モロー」特集にて観賞、1976年フランス作品。私が生まれた頃に、今の私くらいの年齢のモローが手掛けた監督第一作。

お付き合い中のトマ(フランシス・ユステール)に食事に誘われれば一人でいたい、花を送ったと言われれば赤い花は嫌い。それまでの映画でジャンヌ・モローが言ってきたようなセリフの数々を全く違う撮り方で見せる。明るい光(「リュミエール」)のもとで初めての類の彼女の輝きを見た。銃を構える顔もなんて素敵だと思っていたら、映画の終わり、撮影に使うそれを渡されたサラ(モロー)はある理由で涙する。これはまず「女優」にも人生、暮らしがあると訴えている映画である、実生活と映画とは分断されるものではないと。これは私には今日的なテーマに思われた。

その、女の生活にひそむ諸々の問題が描かれる。サラは親友の医師グレゴワール(フランソワ・シモン)に「一人でいるのは耐えられないけど誰ともいたくない」と明かす。お気に入りの作家ハインリヒ(ブルーノ・ガンツ)とホテルで過ごして少し寝ても、自宅で昼までの睡眠が必要…というのはよく分かる。同時に彼女の母親が歳を取って一人でいることに孤独を感じているとも語られる。男とセックスしたいが(もっと言うなら男が必要だが)一人の時間も必要という葛藤は今から見ると過渡期、今だって過渡期だけども、うちらが通って来た道だ。「色恋やヌードが売りの映画?男が好きそう」が『ナミビアの砂漠』の「お前が作る映画は有害だ」に繋がっているわけで、このことに関しては見たのが遅かったと思う。

冒頭、南仏の別荘で女達がプールで歌い、室内で、屋外でお酒を飲み料理を食べる姿、素材を揃えた衣装(全員が全員、ガウンならガウン、白いセーターなら白いセーター!)、14の時に好きだった男がちんこを触らせてきたから別れたなんてのに始まるセックスの話などは今見ると少々古く感じるが、50年前にはきっとこんな女達、スクリーンには存在しなかったんだろう。またベッドでペロー童話集を読んでいたキャロリーヌ(キャロリーヌ・カルティエ)の、時間的には一年後にあたる冒頭での「御伽話は昔々で始まるものばかり、これからの話を聞かせて」なんてセリフを、『エバー・アフター』(1998)でグリム兄弟を呼びつけてこの話はこんなんじゃないと語る役どころのモローが書いていたとは知らなかった。若い「女優」のキャロリーヌが恋人のナノ(ニエル・アレストリュプ)にサラの影響受けやがってと言われるのが面白く、そうそう、こういうこと言われる女じゃなきゃねと思う(全然違う状況だけど、大学生の頃、「尽くす」タイプだった女友達の彼氏は私のことを嫌がっていたっけと)。