チャレンジャーズ


ゼンデイヤ演じるタシ・ダンカンが登場する時、脚に静かに走る怪我の跡に目が行く。マイク・ファイスト演じる夫アートの眠るベッドから起き出しての朝の場面で彼女はそこにクリームを塗る。傷を「大事にする」と言う時、それは治すとも文字通り大事にするとも取れるなと思いながら見始めたら、映画はその傷が出来た時と同じことを彼女が叫んで作中一番の笑顔を見せるのに終わるのだった。

タシのセリフにテニスの試合は「相手との関係、恋におちるようなもの」とあるが男と女は対戦できない、作中でも男女で打ち合うのは怪我の後のリハビリの時のみである。だから彼女が怪我をしてテニスが出来なくなるというのは相当ご都合主義にも思われる。「テニスの試合に勝つ」ことに執着するタシのその後の生き方も極めて「普通」に思われる。しかし周囲が違うのかあまり見たことのない様相が広がる。古い話に新しい人間が生きる。女じゃなく女以外が変わる方が世界が変わる。

男二人を見るゼンデイヤの顔の脇に「私が主役、私がルール」と書いてある日本版ポスターからは「ホットな女」がセックスで二人の男を支配する話を想像しそうだが、見てみたらセックスを司っているのはジョシュ・オコナー演じるパトリックだった。男女問わず彼と居る人間のみが常にセックスを意識している。冒頭「ホットな女」であるタシを見ながらパトリックがアートの腿をぐっとつかむ、そこから全てが伝播していったようにも見えた。自分を愛しているかとタシに聞かれる度にアートが「皆が君を好きになる」としか言わないのも一体何なのか。

印象的だったのはエネルギーの補給にしか見えない食事シーンの数々。悪い意味じゃなく、のんびり生きたいとしか願わない私もあんなふうに物を食べてみたいと思わせられた。この映画にあるのは三人のエネルギーだ、彼らはさぞかし、死ぬまでよくよく生きるだろう、だとしたら映画はどうやって終わるのかと思っていたので先に書いた幕切れは愉快だったけれど、力づくでぶった切られた感もあった。