違国日記


原作未読。こんなにも窓の外が見えない映画って珍しいなと思いながら見ていたら、映画の終わり、槙生(新垣結衣)と朝(早瀬憩)が暮らす家の中から外がはっきり見える。洗濯した服を干した向こうに鮮やかな緑、やがて雨が降って止む。二人が二人でもって社会と接続するまでの物語だったのかと受け取ったわけだけど、私にはそこにどう至ったのかよく分からなかった。急に明るいところに引っ張り出されたようで、穴倉の巣のようだった以前の部屋に戻りたくすらなってしまった。

物語はまた、二つ並んだ名字を発端に親戚が朝を苛め回すのに始まり、二つ並んだ名字の表札の家に彼女と槙生がごくごく普通に暮らしているのに終わる。親戚の悪口の根にはおそらく「名字が違うなんて愛し合っていなかったに違いない」という無知蒙昧さがある。卒業式の日に「おばさん(槙生)を呼んだら」と声を掛けて朝に「親じゃないから」と返された親友えみりの母親だって「うまくいっていないに違いない」と思ったことだろう。槙生はこうした齟齬の隙間を丁寧に、いや「殺してやる」勢いで埋める人間だ…と自分で言うが新垣結衣が演じているのはそういう人物には見えず少々違和感を覚えた。

槙生の中学時代からの親友・奈々(夏帆)の冗談めいた「うちらみたいなダメな大人、初めて見た?」に自分達を卑下している感じはないけれど、私はああいう物言いは嫌いだ。それは槙生が姉の実里(中村優子)に言われ続けてきた言葉、押し付けられてきた価値観であり、女達がそういう社会で育ったということを表してもいるわけだけど、そうだとしても歯痒く、かつかっこ悪く感じる。あるいは私が優しくないんだろうか?