タレンタイム 優しい歌



映画はサイコロを振って解答欄を埋める少年、それに気付いて苦々しい顔をするもう一人の少年、テストの場面に始まるが、これは学校の映画ではない。授業の様子が描かれないからというわけではなく(それを言うならテストだってその一部である)、「タレンタイム」とは学校の活動よりも狭くて広い、いわば次元の違うものだから。ここでの学校は、人々が交差する場である。


それをより効果的に見せているのが、誰かの場面に他の誰かの歌や演奏、時にはダンスなどが重なる、入り混じるという演出で、例えばムルーとマヘシュが一緒に居る場面のバックにハフィズの歌やカーホウの演奏が流れる。背景に、というのは適切じゃなく、共にある、というのがふさわしいかな。


カーホウいわく「親友はお前だろ」の少年が、講堂に運ぶ椅子を、一度に二つは無理で一つ減らして持ち上げる描写なんてのがいい。椅子は留まり続けるものだから、学校が通過点であるということを想起もさせる。映画の最後に空っぽの椅子が並んでいる時、今しがたでなく去年もその前の年もそこに誰かが座っていただろうと思わせる。


試験監督中のタン先生を呼び出したアヌマール先生は、口臭がひどいぞ!と言われ、ふざけて余計にはーっと吹きかける。以降、アヌマール先生のおならを始めとし、病床に着くハフィズの母の嘔吐、ムルーの母の友達の車酔いのげっぷなんかが次々に、まるで、死に至る途中の嘔吐や差別心のお供のげっぷだって生きているという証拠なのだと言わんばかりに飛び出してくる。見終わって思い返すと、マヘシュの母が弟に消臭剤を塗り付ける場面が何だか不吉に感じられる。


本作では多言語の一つに手話があり、これが面白さを増している。ムルーにはマヘシュの愛の言葉の意味が分からないが、もしその形の記憶を保存しておけば、後に手話を学んだ時に、その意味が分かるかもしれない(そりゃあ他の言語だってその可能性はあるけど、この映画を見て初めて気付いた)。なんてロマンチックなんだろう。機械を介して文字で話すことも出来るが、手話で伝える、その気持ちも想像する。


黒髪がまたしても印象的だった。罪の告白をする時の正装のような髪、愛する人と初めて眠る時にクッションに流れる髪、「タレンタイム」当日に母が整える髪。でも一番心惹かれたのは、冒頭三姉妹が父親の前で踊る時に乱れる髪、特にいつもしっかり上げられているムルーの前髪、あれはとても魅力的だった。