青春18×2 君へと続く道


主人公ジミー(シュー・グァンハン)の高校時代の若さ溢れるねぼすけぶりを活かすためなのか朝9時からの映画デートってありなのかと思うが(台湾では、あるいは普通によくあることなのかな?行き先はアン・リーも通ったという全美戯院)、それから夜まで何をしていたのか、もう一つのホームのようなアルバイト先のカラオケ屋の店先で、アミ(清原果耶)の心痛を察した彼は大丈夫?とそっと手を重ねる。デート前に調べるも失敗に終わった「手を握るには」なんてのはすっかり消え失せて。ああして人は大人になるのかなと思う。

「旅の途中で会う人達はぼくに影響を与えてくれる、ぼくは旅人だった彼女に影響を与えられたろうか」とのモノローグから、現在日本のパートはジミーの旅の、18年前の台湾パートはアミの旅の物語なのだと分かる。しかし旅人か旅人を迎える側かなんて関係あるだろうか?予想の通りジミーはアミに影響を与えたどころじゃないと分かる。これは旅人であってもそうじゃなくても、出会いとは影響を与え合うことだという話である。彼は「夢を叶えたら会おう」と約束したからこそ夢を見つける。18歳のコウジ(道枝駿佑)が生まれるずっと前の映画『Love Letter』を見てみると言うのだってそうだ。

天燈上げのポスターを見たアミの「いつか『連れて行って』」とは、それがジミーの正確な記憶なら、死を覚悟の上で旅しているとはいえ、いやその割には随分男に頼るじゃないかと思っていたら、原作となったエッセイの通りなのか女の側の心情を随分しんみり感傷的に描いてみせる。実はあの時…の繰り返しもくどく終盤は少々飽きてしまった。かつて電話ですげなくされた(と受け取った)ジミーのよるべなかった背中が、アミの心を知った最後には大きく見える。その「結果」だけでいいじゃないかと思ってしまった。