最近見たもの

▼ロスバンド

バンドのロードムービーにしてよい子ども映画。冒頭少年グリムが既成の世界地図の上に手書きの地図を広げる場面にぐっときた。父親が家の中に張ったテントにこもって昔を懐かしみながら聞いているノルウェーのバンド・モーターサイコの「Feel」を、「国の反対側」のロックコンテストで演奏したいと言う。内にこもりがちな大人を外に出る子どもが引っ張ってくれる。今や好きな人でなければ普段は魅力があるわけではないであろうロックもそうして生き延びる。

両親の不仲に悩むグリム、同じクラスのモテ女子に恋い焦がれている(「あんた最近変」)アクセル、自分の体より大きなケースを引いてチェロに励むが誰にも認められない9歳のティルダ、音楽が好きだが父親にレーサーになるよう強いられている17歳のマッティン(ヨナス・ホフ・オフテブロー)。どうもしっくり来ていない子ども達が多分初めて、自ら共同体を作る。ロック映画には車の旅がよく出てくるが、同じ車に乗るとは運命共同体になることだというのがよく分かる。困っている人(ここでは突撃してくる新婦)を助けるか否か、決めたら皆でそうすることになるし、飛び越える時には皆で覚悟が必要なのだ。

▼355

冒頭の追いかけっこが始まるところから楽しい、女同士だから。ダイアン・クルーガーの程よく(非人間的じゃなく)かっこいいこと。それぞれの母語が聞けるのも楽しいし、全編通じてほのかに漂うダサさもよい(セーフハウスで「皆で協力しなきゃ!」の場面の映画が尻餅ついたようなダサさよ)。また「諜報員じゃない」「子持ちの」、要するに女は普通そうだと想定されているキャラクターのペネロペ・クルスこそこのメンバーの中では普通でなく「できないよー」的笑いを誘うのも、それこそ普通なら馬鹿にしてんのかと思うところがこの文脈だといいね!と楽しめる。「診察のつもりで」に振り返ってからの場面が可笑しかった。

皆が奪い合うデバイスにつき「ドラッグなら味見したものだけど…」というやりとりがなされていたけれど、自分だけが持つ力で他人に被害を与えまくりそれに酔いしれる、という体験がドラッグに代わるものである、というのは何とも今っぽいように思われた。

▼デモニック

随分ごつごつした、端的に言って下手な映画だけど嫌いじゃない。見ながらふと、よその映画は何が悪魔憑きとエクソシストとを結び付けていたんだっけと考えた。家族の依頼?一人暮らしなら?あるいはこの映画の母親のように(「ネタばれ」なので一応ふせる)場合は?(この例は他の映画にもあるのかな?私には新鮮だった)

さすがブロムカンプの映画、おめーらやっぱ軍人じゃんというところで笑ってしまった。軍人(的な存在)はどこまでやっていいのか、やれるのか、という話に私には思われた。主人公を呼び出した二人組は「この建物内だけの技術です」「彼は博士号を持っています、私は医者です」と私なら即帰りそうなことを言う。「記憶の断片が出現するから近しい人に依頼しました」と言いつつ自分達もそれを普通に見ているし、隠しカメラまで取り付けている。何かそういうところの権力に思いをはせてしまった。人、特にあのような人を救うためにはある程度の組織的な権力の行使が必要なわけで、それと個人との相克のようなものについて考えた。テリー・チェンという方の演技というか存在感が絶妙で、登場時から唇など不吉で混乱させられた。