パンク・シンドローム



フィンランド映画祭で見逃したものを一般公開にて観賞。「知的障害を持つメンバー4人で結成されたパンク・バンド」、ペルッティ・クリカン・ニミパイヴァト(「ペルッティ・クリッカの名前の日」)を追ったドキュメンタリー。


作中まず披露される彼らの曲のサビの歌詞は、「ほんの少しの敬意と尊厳が欲しい」。そんなことを歌うとはどんな日常を送ってるんだろう?と思いきや、ここで「問題」となるのは、ギターのペルッティが幾ら言われても「コーラスの回数」を間違えること。この導入が楽しく惹き込まれた。
始め「彼らの不満って何かな」と考えながら見てたんだけど、そのうち、生きていればむかつく、疲れる、嫌になる、それが当たり前だと思うようになる。私だってそうだ。用事があるわけじゃなくても予定を断りたくなる、そういうもんだ!


この映画から最も伝わってくるのは、当たり前ながら、バンドは決して「一丸」では無いということ。ボーカルのカリがグループホームへの不満を「いつか施設を爆破する」と歌うと、ホームに満足しているベースのサミは「僕も住んでるのに」と言う。こういうところが面白い。カリは「国会議員はくそ」とも歌うが、美人党首率いる中央党の党員であり選挙ボランティアに励むサミはこの曲についてどう思っているのか?まあバンドなんてそういうものかもしれない。
この、カリいわく「(ホームで)嫌々『組』にされている」二人がフットケアを受けるくだりには(それにしてもフィンランドの福祉の手厚いこと!)、全然似ても似つかない状況なんだけど「足」つながりで、想田監督の「Peace」で靴流通センターに買い物に行く場面を思い出した。何だか忘れられない。


カリのように不満を歌詞に表すわけではないペルッティは、ネガティヴな感情を消化するために日記を付ける。毎日、年月日を確認し、丁寧な文字で。誕生パーティーに「仕事でいつも一緒にいるんだからいいだろ」と来てくれなかったサミについて「(怒りで)眠れやしない」と起き上がってまで書き付ける。
ちなみにこの場面でベッドに横になる際、一人暮らしのペルッティは歌謡曲?を流す。ドラムのトニが「気になる女の子」に失恋した後にカラオケでブルージーな曲を歌う場面もある。「パンク」に留まらないメンバーの音楽の趣味が少々覗けて楽しい。


映画はトニがステージ前にトイレで用を足している丸出しのお尻から始まる。別のステージの前にはペルッティがマネージャーに「うんこの匂いがするから」とシャワーを浴びるよう言われ、裸の後ろ前を見せる。サミはグループホームの運動会でズボンを落とす。作り手はこれらを映画に使いたいと思い、彼らは(もしかしたら積極的に)了承したわけだ。下半身を見せるのが「パンク」だとすればそれはなぜか?何かを「出す」ところだろうか、などとふと考えた。
私が何気に好きなシーンは、ペルッティの「ロックな誕生パーティ」にやって来たマネージャーが開口一番「パンツは換えたか?」と聞くところ(笑)確かにそれはいちいち言わなくちゃ。