そう言ったでしょ


イタリア映画祭にて観賞、2023年ジネヴラ・エルカン監督作品。

吐瀉のしみ、脇の汗、鳥につけられた傷、女達は体のいわば異常を取り繕って「普通」のふりをする。普通でなければいけないいわれはないがそのせいで苦しいから。異常気象で灼熱のローマのクリスマス、エアコンは壊れ電気も不足し、窓を閉め切った室内で何台もの扇風機が回っている様は物事を幾らかき回したところで堂々巡りであることの表れだ。やがて彼女達は戸外へ出て行く。

(以下「ネタバレ」しています)

「あなたは夫に全てを捧げた、私は皆を愛した、でも今はどちらもひとりぼっち」とのセリフでプーパ(ヴァレリア・ゴリノ)とジアーナ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)の存在と関係が説明されるが、「あなたの旦那はクズだった、あなたに値しない」と言われても、もうお互いしかおらず歳いって走ることもできず前になり後になりよたよた帰るしかなくても、二人に未来があるわけではない。彼女らの結末に私には釈然としないものがあったけれど、上映後のQ&Aで監督は、通訳の方によれば(「ジアーナは殺すべきか」ではなく)「プーパは死ぬべきか」という言い方をし、作中最も自身の生き方に確信を持っていた彼女が殉教者になったのだと説明していた。倒れた姿は確かにそうだった。

この映画は、例えば「元ポルノスター」のプーパが「皆に愛を与えた」と言うのが本当に「皆」で男に限らないというような自由さを備えてはいるが、この社会においてどういう姿勢を取れば強く何かを訴えられるかということは考慮されていない。だからどことも知れない「湖」を目指す者もいればそうでない者もいるというだけの結末も、真摯といえば真摯だが曖昧だ。

面白かったのは遺灰映画としての一面。遺灰の出てくる映画といえば、男が死んだ女のそれを携えもっと尽くしてやるべきだったと旅をするのが大方だが(相手が生きてる時にがんばれよとしか思えない/昨年違う趣向のものを見たけども)、ここでは母親の遺灰を手にした兄妹は当人の希望の場所へ行くもそれを持ち帰る。兄(ダニー・ヒューストン)は母に虐待を受けており、妹(グレタ・スカッキ)は「母親に愛されたくて」それを笑った、兄いわく「(虐待に)加担した」、そんなやつの痕跡は、エンディングにも流れるラ・バンバにのってトイレに流してしまえばいいのだ。あのダンスシーンにはぐっときた。