燃ゆる女の肖像


エロイーズ(アデル・エネル)いわく「一人は確かに自由です、でも寂しかった」。その母である伯爵夫人(素晴らしきヴァレリア・ゴリノ)が言う「笑い合うのだって一人じゃできない」じゃないけれど、何だって誰かとしたい。その相手とは対等でありたい。その関係内であれば見る、見られることだってコントロールし得る、楽しくなり得る。エロイーズが抱えている炎はその願い、いや怒りである。これって今でも全然叶えられないじゃん、と気付いた瞬間に居ても立ってもいられなくなり映画館の椅子の上で膝を抱えたくなった。

離島の屋敷での五日間、エロイーズとマリアンヌ(ノエミ・メルラン)、使用人のソフィー(ルアナ・バイラミ)の三人の女が入れ替わり立ち替わり調理をしサーブをし、オルフェウスについて感想を戦わせる、ここには確かに「平等」がある。エロイーズの「修道院では皆、平等だった」との言のようなシンプルなそれである。しかし女達が妊娠と堕胎、あるいは妊娠させられるであろう結婚という荷から解放されることはない、「時間を延ばす薬」を摂ろうとも。堕胎措置を受けるソフィーを襲う感情はひとときのそれではなく、女につきまとって離れないものだ。女達によって描かれる、「肖像画」とは真逆の絵が写し取っているのはその恐怖である。

慣例なのだろう「これで見初められ、屋敷で先に私を待っていた」肖像画を男性画家に描かせた伯爵夫人は、本土に渡る目的や故郷ミラノへの思いを語る際「楽しんで悪い?」と優しく笑いながら言う。そんなふうに鬱屈をまぎらわすことのできないソフィーの、最後の朝のマリアンヌへの強い抱擁が作中最も心に残った。階下に下りて行ったマリアンヌが見たものは夫人が戻ったしるしだったかもしれないけれど、果たしてソフィーと同じものを見たのかもしれないけれど、あれは彼女にとっては死ぬまで逃れられない現実のしるしなのだから。