時は止まりぬ


「蘇ったフィルムたち チネマ・リトロバート映画祭」にて観賞、エルマンノ・オルミ初の長編劇映画(1958年イタリア制作)。水力発電のためのダム建設現場の冬季監視員として雪深い山小屋で過ごす男二人の数日間…特別な場所での普通の時間が描かれる。

年長の、背の曲がったナターレ(イタリア語のクリスマス)が戸外でのあれこれの後に入ってきた室内に、すでにもう一人の男がいると分かるカットの鮮やかさ。何てことないんだけど情報のギャップで心掴まれる。再度繰り返される時はゴンドラに乗った荷物でこちらに予感を抱かせているから一発で見せる。その時に居るのが年若いロベルト。互いに気になって仕方がないが切っ掛けを掴めない二人。レコードの大音量の鳴る方を見るナターレの顔、こちらにダーツを投げてくるロベルトの顔、それぞれの命の形がそこにある。ようやくチェッカーで向かい合う時の、ナターレの他にないどアップや彼の方へ伸びてくるロベルトの指も魅力的だ。

オルミの映画でこんなことがあると思っていなかったけれど、そこ私も危ないと思ってた!(小屋の入口の傾斜の話ね)などと声を掛けたくなる系の映画である。『クオレ』は私も子どもの時読んでた!ってそうだったのか、本国ではこのような時に引かれる書物だったのかと思う。今はもうこんな「人」は存在しないと、ナターレは堰を切ったように話し出し、話し切る。人は皆同じじゃないとロベルトは真摯に返す。二人は互いにとっていわゆるかけがえのない相手というわけではない、山を下りればそれぞれ親密な家族や仲間がいるだろう、ただ人間と人間だから懐いたり助けたりし合う、そこが素晴らしい。

国立映画アーカイブの満席に近い場内に笑いが満ちるようなコメディでもあり、ロベルトの大工仕事のくだりには、落語の『小言幸兵衛』の「仏壇の位牌の向きが変わる」ネタって世界共通なんだな、そりゃそうかと思うなどした。ラジオから流れる「主婦の皆さまにお送りします」にナターレがしぶい顔でスイッチを切るのに近くの男性が笑っていたけれど、あれはこの時間から家の中にいてこまごま働いてるけどおれは主婦じゃないぞというユーモアなんだろうか(特に嫌な感じはしない)。