白日青春 生きてこそ


「難民は盗んだ車を無免許で運転していた」から父さんの過失は問われないと、アンソニー・ウォン演じるチャン・バクヤッ(「白日」)の息子ホン(エンディ・チョウ)は言う。そうするしかないのにそう言われてしまうんだと悲しくなるが、警察官の彼は自分の結婚式の最中に父の保釈に呼ばれた際には難民の言い分など聞かなくてもと言う周囲に一人反対していた。いずれの場合も法を守っているのだ。オープニング、バクヤッの運転するタクシーのラジオから流れる、「『本当に』困っているかどうか審査してやろう」という日本の風潮に通じる法案のニュースが見ながらずっと心の底にあり、どんづまりの物語=現実に、私達は法に対してアクションするしかないんだと思わずにいられなかった。ハッサン(サハル・ザマン)の母親ファティマ(キランジート・ギル)を診察した医師だって、気持ちがあってもあれ以上のことは出来ないわけなんだから。

パキスタンから香港へ逃れた両親の元に生まれたハッサンの名「青春」は、詩『苔』から取られている。これを朗読する授業の最中に喋っていた罰として彼と友人は放課後に詩を100回書くよう命じられるが、あんな教員がいるものだろうか。実際いるのかもしれない、あるいはあれが何かを表しているのかもしれない、例えば言葉もそんなふうに無意味に使われてはおしまいだって。この映画の(この教員のような)香港側の描写は時折陳腐にも感じられたけれど、そうでない人々の描写は「香港政府は認めないけれど」「分からないからもう一度英語で」と始まる結婚式の場面からずっと力強い。「難民」がアイデンティティなわけがない、幾つもの命、暮らしが描かれている。めがねを盗むのに登場するハッサンが、悪事に関わらなければ生きていけない事情も。

映画の終わり、密航屋の「おれも泳いで来たんだ」にふと涙がこぼれそうになり(バクヤッと彼のやりとりにアンソニー・ウォンの愛嬌が最も活かされていた)、こんなところに感動しちゃだめだ、『ゴジラ-1.0』の何が一番嫌だったって一般庶民だけが頑張ってたところだろ、これだって通じるだろ、と思うもこの映画のそれには抗えなかった。