どうすればよかったか?


タイトルが作り手の呟きである映画って滅多にないよなと思いながら見ていたら、作中この言葉は最後の場面で一人残った家長に対する息子=監督の「どうすればよかったと思う?」との質問として出てくるのだった(勿論もっと色々な意味があろうけど)。統合失調症についての姿勢の断り書きに始まるこの映画で統合失調症という言葉が出てくるのも(時代の流れもあって)最後のこの場面だけ。息子も父親も初めてはっきりとその言葉を口にする。背後に響く秒針の音、壁に掛けられた二つの遺影のうち娘の方だけ日除けだかの布が被って見えるアングルに過剰な読みをしてしまいそうになるのを押しとどめた。

オープニングの音声を私は「家族」、すなわち一緒に暮らさねばならない存在にしか向けられない何かと捉えた。しばらく後にそれは監督が「このままでは何も無かったことになってしまうから撮り始めた」記録の最初のものだと分かる。彼が映画の道へ進んだのはそれゆえなのか、あるいは映像に対する資質が彼に記録を撮らせたのか分からないけれど、最後の場面だけ「カット!カット!」で終わるのは、もう撮れるものが無くなったということ、これが何某かの「全て」と彼が考えているということに思われた。例えば撮影中に母親がもう終わりと席を立って去るのはそれ自体が記録されてしまうが撮影や編集は痕跡がある意味では残らない、あの「カット!カット!」はそのことへの抗いに思われた。

見ながら二つのことを考えていた。一つは自分が実家にいた頃は「進学」する私を中心に家族が常にどこかへ向かっているようだったが(私は受験勉強は殆どしなかったし進学のその後は何もせずに生きていきたいと思っていたが)大人になってから帰省して両親と過ごしているとどこへも向かっていないようで、あまりに快適なのと同時に誰かに責められているようにも感じる、そのことが思い出された。もう一つはこの映画は一体何なんだ?ということ。私には意味がよく分からなかった。映画の「何もできなさ」に茫然とするしかないというか、(作りが計算されていないという意味ではなく)存在が純粋すぎて掴みどころがないというか。