
日本モンゴル映画祭にて観賞、2020年モンゴル、ビャンバ・サヒャ脚本監督作品。元になったというグンアージャビーン・アヨルザナの小説はいつ頃のものだろう。
主人公の青年(名前はなく役名はBedridden、バトトルガ・ガンバト)になぜ自分を殴らなくなったのかと聞かれた父親(ドルジスレン・シャダヴ)は、お前がこんな車はいらないとおもちゃに泣いた時、本物の車でも家でも買ってやれるようになると決意した、それを実現したと答える。金があれば殴る必要はないのだと。主人公の恋人女性ツォルモン(アリオンチメグ・トゥムルスフ)の「あなたは質問がまず間違ってる」とはそういうことなのか、解き明かしても詮無いということなのかと思う。父が政界に進出するという展開は、モンゴルの政治も国民に物を与える方向に向かっていると言っているのかなと考えた。
「愛より前にお前が生まれた」と言う母親は家を出た後、馴染みの女性と再会し愛し合うようになる。妹ナムーの父親となぜ結婚しなかったのかと聞くことから息子(主人公)は二人の関係は知らないようだ(なおモンゴルでは同性婚は合法でない)。モンゴル映画で女性同士の恋愛を初めて見たが、ここにクィアな空気はない。同監督の『リモート・コントロール』(2013)を見た際にも感じた男目線に支配されているのと、例えば『熱いノン』(2018年ウズベキスタン)の女子にはどこかへ行くことの象徴だった飛行機が『リモート・コントロール』の男子には空を飛ぶこと自体の象徴だったように問題の扱いが観念的なのとで(あの男子だって相当辛いはずなのに)解放感がない。
主人公の母親やパソコン修理工の男の結婚相手の妊娠は愛のないところに発生し、主人公の恋人の妊娠は双方に愛があっても潰える。その原因を映画は父親や資本主義といったものに帰している。私にはこれは、この国での愛とセックスと妊娠出産が混乱し噛み合っていないこと、自身がその「子ども」であることに思い悩む男がベッドから出なくなる話に思われた。映画の終わりには立ち上がるが、女なら具体的な問題がつきまとうだろうと思うと少々呑気に感じられてしまった。「子ども」から「父親」になることは叶わなかったらしき彼が都会の高級住宅から田舎の一本道にいわば遡ると世界に色が戻るラストシーンもどう取ればよいか分からなかった。