シティ・オブ・ウインド


日本モンゴル映画祭にて観賞、2023年フランス・モンゴル・ポルトガル・オランダ・ドイツ・カタール、ラグワドォラム・プレブオチル脚本監督作品。舞台はウランバートル、17歳の男子高校生ゼ(テルゲル・ボルドエルデネ)は勉学に励む一方でシャーマンとしての役割も務めながら家族とゲル地区に暮らす。

十代に戻って彼と一緒にいるような気持ちでゼとマララ(ノミンエルデネ・アリウンビヤンバ)のデート場面を楽しんだ(陳腐なことを言うようだけど、こういう映画は希少)。林立する新しいビルを見下ろしてどれに住みたいか話したり、ショッピングセンターでマネキンにいたずらしたり。ゼの方がマンションに住みたいと願い週に一度は好きな物を買う想像をしているのが面白い。マララの方は「狭いところは嫌だから田舎に住みたい」「家畜と?」「田舎に住んだら家畜を飼わなきゃならないの?」。落書きの名所といった感じの白い柱に互いの将来を描き合う場面が最高で、彼はゲルの脇で家畜をおっている彼女を(近くに元からある女性器の絵を二人とも全く気にしない)彼女はシャーマンの衣裳で高層マンションに住んでいる彼を描く。

こうした場面の数々から分かるのは、二人にとって将来は未知だということだ。若者は常にそうだとも言えるし今この時代だからそうなのだとも言える。私にはこれは、若者が昔と今など色々を自身の中で融合させるのに惑っている話に見えた。加えてマララはゼの、ゼはマララの世界が理解できない。しかしそれゆえ二人は惹かれ合う。そういった事情を知ろうとせず一律に押さえつけるのが教師に象徴される大人(国)で、それに対し最後にひととき連帯した反抗がなされる。「恩を忘れるな」と言われたゼが親友と「学校を出たらすぐ忘れる!」「えっおれのことは?」などと話しながら帰るのがいい。同じ日に続けて見た『獄舎Z』(2024年、ビルグーン・チュルーンドルジ監督)でも看守(軍人)が目上の大佐に同じように言われて自分の立場を思い知るくだりがあったので、モンゴルの人にとってはよく言われる嫌な言葉なのかもしれない。

同映画祭に掛かった『冬眠さえできれば』(感想)と本作はいずれも女性の監督による少年が主人公の作品。逆は腐るほど作られてきたんだからもっとやれとまず応援してしまう。あちらのウルジーは鬱憤を晴らすように煙草を吸っていたのが、こちらのゼは冒頭からシャーマンとして酒と煙草を体内に入れねばならない。やがてクラブで酒を飲むようになると違和感を覚え、その場にわざと留まって天に話しかけてもみる、試行錯誤が描かれている。また二作からはモンゴルに母子家庭が多いこと、国の支援が行き渡っていないことも推測できる。妊娠して泣き崩れるゼの姉に母親がかける言葉は「私達(両親)もゼもいる」…すなわちパートナーなしでの妊娠出産は女性にとって辛いものだということ、支えるのは行政でなく身近な人々であることが描かれている。マララや姉との付き合いから女性への、ひいては社会の中での言動を変えるゼの姿がよかった。