
日本モンゴル映画祭にて観賞、2025年モンゴル、バトデルゲル・ビャンバスレン監督作品。1999年に結成されたヒップホップグループTATARの成功までを実話を元に描く。民主化後に移動できるようになり人々が殺到したウランバートル郊外の話なので、前日見た『狼は夜やってくる』(2024年モンゴル・ドイツ・オーストラリア、ガブリエル・ブレイディ監督、感想)など色々な映画と繋がる。
序盤に「夢を持っちゃいけないのか」とのセリフが頻出することから、民主化後の若者と上の世代の衝突が描かれていると分かる。飲んで帰ってはムーギーに靴を脱がせる義理の父が頬張る肉を、三人は食べない。冒頭にザヤが兄に音楽聞くより食事しろよと渡されるあのパンや大会前に揃って袋を開ける菓子パン?など、それらは肉食か否かというより即席であること、家を持たないことの表れに私には見えた。
TATARは同世代のギャング、クバナとヒップホップのいわばてっぺんを争うことになる。貧しい中で若者が抱く夢にも金か愛かの違いがある(冒頭に流れる歌でどちらを選ぶのかと歌われる)。ギャングの「仲間からは盗まない(=仲間しか守らない)」には破滅の匂いがする。映画の終わりには金を選ぶ者にも理由があると…クバナには対立する親もいなかったと判明し、遠回りの末に男同士の握手がなされるが、実話が元だそうだけど、金を選べば対等な仲間やオリジナリティが得られず死ぬよりないというのは私には随分残酷に思われた。
ギャングのグループのMVに「身体を売る愚かな女」、TATARの歌に「君は故郷を愛していたろ」で作り手は二組のいわゆる女性観の差を表したのかもしれないが、日本の音楽家もそうだけど、そもそもなぜ男は女に物申すのか。近年は『RHEINGOLD ラインゴールド』(2022年ドイツ・オランダ・モロッコ・メキシコ)『KNEECAP ニーキャップ』(2024年イギリス・アイルランド)といった映画を見ているから、本作のとりわけ女性描写に表れる古臭さには少々閉口させられた。そういう意味では最近の「国民的バンドもの」の中では時代も音楽も違うが『ドス・ムカサン』(2022年カザフスタン)に似た感じを受けた。