イカした人生/ハニー・シガー 甘い香り

マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバルのオンライン上映にて観賞。


イカした人生」(2020年、ラファエル・バルボニ、アン・シロ監督)は30代の男女カップルの男性の方の母親が意味認知症にかかり、子どもを持つ予定が行き詰ってしまう話。

子どもの頃、今日あそこでああして遊んでいたでしょうと母親に言われてびっくりしたことがある。勤務途中に外出して偶々見たんだろうけど、全く気付かなかった。私やこの映画のアレックスの母はおそらく子どもが子どもの頃は出来る限り見ていたんだろう。それが映画では母親がお店のライターを盗み煙草に火を点け一人になりたいと去って行くぼんやりした後ろ姿からずっと、彼の方が母を見ることになる。最早息子が足をぶつけようと気にも掛けない。私にもこういう日が…父親やパートナーに対してかもしれない…来るやもと思いながら見た。

パートナーのノエミにしてみれば、子どもを作りたいと合意の上で努力していたのが、そればかりか週末の旅行など何もかもがストップしてしまい不満を抱くことになる。明日は後見人との面接だ、なんてアレックスの共有の気持ち半分の独り言に「口に出さないで」、ジャージ選びにしぶしぶ付き合っては「午後がつぶれた」などと文句ばかり、そのうち彼の元を離れてしまう。男性目線の映画、つまり多くの映画ではこういう女性はあまり描かれないから良かった。話はアレックスが葛藤ののち「『休止』は終わり」とノエミに送り、皆が病気を受け入れて過ごすのに終わるが、彼女の両親につき、あるいは見ている私の身の回りにつき、似たようなことが繰り返されるかもと思う。だからこそこういう映画もあっていい。


「ハニー・シガー 甘い香り」(2020年、カミール・アイヌーズ監督)は1993年のパリを舞台にブルジョワ家庭で育ったアルジェリア二世の少女が苦しみを知る話。終盤1994年のアルジェの記録映像も挿入される。

「ユニークじゃなくダブルなんです」「私はアルジェリア人です、フランス人も同然です」。冒頭のセルマ(ゾイ・アジャーニ)はアルジェリア人であること、また女であることにシンプルな誇りを抱いている。男子学生に胸を褒められると自室で裸になって確認してみたりもする。しかし進学に伴い好きなことをしようとすると、家族や男達によってそれらはずたずたにされる。泰然として見えた父親は娘が男と遊ぶようになると「おれの顔に泥を塗るつもりか」と外出を禁止する。男達の世界に足を踏み入れると自身のセックスへの欲望と性的な存在としてしか見られない苦痛とに挟まれ、頼る相手もなく孤立して沈んでしまう(日本でも問題になっている就職活動絡みの性暴力の場面あり。名刺の時点で寒気がする)。

映画の終わりに出る「母へ」。あの日、母は胸のボタンをもう一つとめてハイヒールに履き替えるよう言った、セルマは不服ながら従った。色んな土地の女に求められる矛盾だよね、「誘惑」しちゃいけないけれど「綺麗」でなきゃならない。ラストシーン、彼女はそれと真反対の格好で世界を歩く。母と娘はそれぞれの道をゆく同志になった。振り返ると母も自分なりに自身の世代より娘を自由にしてやろうと努めていたことが分かるが、結局のところここでは二者の関係を風通しよくするのは互いが互いの道を勝手にゆくことなのだった。アルジェリアで風に吹かれ女達との時間を過ごしてもそれは救いにならない。音楽が途切れる「ゴキブリ」の場面が雄弁だ。