ファーティマの詩


イスラーム映画祭にて観賞、2015年フランス=カナダ製作、フィリップ・フォコン監督。「アルジェリアで勉強し続けていれば大臣になれた」ファーティマと彼女が清掃の仕事をして育てている娘達、フランス郊外の団地に暮らす女三人の限界寸前の日々を描く。

カウリスマキは『希望のかなた』(2017)でシリアから逃れてきた青年の独白を真正面から長々撮ったものだけど、この映画はアルジェリア移民のファーティマが母語で綴った詩を将来の娘の姿であるかのような女性医師の前で口にする時、ラストシーンで自分達の闘いの成果を改めて一人味わう時、その横顔を印象的に映す。映画の終わりがけに次女のスアードが自分を口説いてくる男の子に横顔を見せてと言うが、彼女の念頭には母親のそれがあるのだろうと思わせる。作中母娘が衝突するたび、高校生の彼女がもう耐えられないと不満をぶつけることのできる相手が母親以外にあるものかと思った。

娘との会話でフランス語の間違いを指摘された母が「通じるでしょ、馬鹿にしてるの」。街中で耳にした言葉の意味を尋ねられるも相当しそうなアラビア語を知らない娘がフランス語でフランス語を説明する(これは娘がアラビア語を知らないということなのかフランス語ならではの言葉ということなのかどちらなんだろう)。公的な書類で用いる言葉の表記を判別する成人対象の講座の場面には、こういう時に教える側にある者はどう臨めばいいのかふと考えた。効率が一番大事かもしれない、相手の時間を奪っているわけだから。

物語の作りとして珍しいなと思ったのが、全く女だけの世界に設定している点。嫌がらせしてくる男、「かっこいい」見た目で娘達を惑わす男、医学部の教授などは世界のいわば外に位置しており、ここではその内における女達の、彼女らを人と思っていない「白人」女性との関係や同じコミュニティ内での摩擦などが描かれる。それにしても嫌がらせしてくる男に反撃に出たり父親の女性差別を指摘したりと、姉妹はずいぶん優しいなと思った(作劇としては無くても通じるのに)。私なら面倒だから放っておいてしまうだろう。