クレッシェンド 音楽の架け橋


パレスチナイスラエルで基準を変えないと合格者がイスラエル人ばかりになってしまう」と意見するのは「本職はトレーダー」の、合理を追求する企画人カルラ。マエストロのスポルク(ペーター・シモニスチェク)は「使える(=「演奏が上手くアラブ人に見える(!)」)イスラエル人のテストを止め半々の割合で小さなオーケストラを結成する。音楽の質とは何かという話である。冒頭からパレスチナ側の、爆撃の中での練習、周囲の反対(女なら尚更)、検問を越え会場に辿り着く困難、それらを何て辛苦だと見ていたはずなのに、衝立越しの目隠し試験を当然のように受け入れていた自分の浅墓さに衝撃を受けた。

オーディションでパレスチナのオマル(メフディ・メスカル)だけが「自分で作った」という「非・西洋的」な曲を演奏するのに、ちょっと視座はずれるけれども、このオーケストラはサイードバレンボイムが作った楽団がモデルなのだとふと思い出した。父親に師事し地元の結婚式が活躍の場である彼にはあのような音楽が「自然」なのだろう。
(この場面で、スポルクが彼に翌日再テストを受けるよう言い渡す理由が分からなかった。あの曲では判断できなかったということ?合宿中に同様の曲を演奏している時には「どこの音楽大学にも入れる」と断言するのに)

合宿にて初めての練習で、まずパレスチナのレイラ(サブリナ・アマーリ)が、続いてイスラエルのロン(ダニエル・ドンスコイ)が演奏し始めると、明らかに後者の方が「いい」。しかし聴いた時に浮かぶ気持ちが「こっちの音の方がいい」だなんて、それは断じていい音楽じゃない。しかもバッハのカノンにおいて。よくない理由は「互いの音を聞いていない」からなので、練習ではなく「互いの話を聞く」こと、すなわち対話が問題を解決する。

反発しあう二つの束が一つの束になるために、カルラは「友達ができればうまくいく」、つまり一番小さい単位同士の結びつきが必要だと言う。最初にくっついたのが「その楽器は初めて見た」と音楽の話で(「友達」じゃないけど)関係の始まるオマルとシーラ。二人は音合わせの際の乱闘にも加わらずグループセラピーでは涙を流し、他人の靴ならぬ相手側のキッパやヒジャブを身に付けてもみる。しかし外部の「NO」がその結びつきを叩き潰してしまう(二人があのような行動に出なければならなかったのも「NO」のせいなのだから)。それを目の当たりにしても尚私たちは「YES」と言う、実行する、というのがラストシーンにしてメッセージだ。