パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト



あまりの腕前に「悪魔に魂を売った」と噂されたという19世紀イタリアのバイオリニスト、ニコロ・パガニーニをデヴィッド・ギャレットが演じる。


バイオリンの流麗な音…ぶちょっとした少年が、開いた窓の前で演奏している。座って聞く男が「誰の曲だ?」、少年が「自分で作った」と答えると怒って叩く。終盤、パガニーニが自分の息子を叩いた(と息子が言う)家庭教師を狂ったように追い出す場面に、作中最も「感情的」と言ってもいい音楽が付くのもさもありなん。もっともこの映画でBGMが盛り上がる場面は総じて、「音楽でそこまで説明する必要は無いだろう」という感じで笑ってしまう。
長じてオペラの幕間に「ご機嫌を取る」パガニーニを、関心の無い客達の奥から見つめる男が一人。「魔王」のテーマに合わせて、ウルバーニ(ジャレット・ハリス)の左右不対象な瞳が不気味に映る。ステージ前方に出るのにパガニーニが掻き分ける幕の重量感、彼の顔を照らすライトの妙、翌日ウルバーニが口にする「君には才能があるが物語がない」というセリフを、既に「物語」を見ながら聞くというちょっとした面白さに惹かれた。この映画、ライティングが結構楽しく、ロンドン公演の場面で張り切る照明係がちらと映るのもよかった。


宣伝文句には「パガニーニの人生」とあるけど、この映画で主に描かれるのは、彼が初めてのロンドン公演に出向いたことにより自身と周囲に起こる出来事だ。
外からやって来た者の目に映るロンドン、の描写が面白い。閉じこもっていたパガニーニが馬車で初めて出掛ける場面など、ロンドンという「テーマパーク」のようだった。「石畳を走る馬車の音」が、私の一番馴染んでるグラナダ版ホームズのと違うなあ(こちらの方が重い)、数十年の差もあるから何か条件が違うのかなあ、などと考えながら見る。ちなみに「シャーロック・ホームズ」はパガニーニのファンであり、原作に彼の話をするくだりがある(調べたら「ボール箱」の一節)。
やたら「外の空気」を信奉する、初対面の相手に汚いハンカチを差し出す「凡人」のジョン・ワトソン(クリスチャン・マッケイ)が劇場の入口の男に「お母さんは元気か」などと声を掛ける、「天才」の居ない世界の平和なこと(もっとも彼らも何かにあぐらをかいているんだろうと思う)。これは「『天才』の居る世界」の話なのだ。


たまたまそうなったという気がするけど、芸術って、天才ってこうだ、なとどいうつまらない「結論」を押し付けてこないあたりは好みだった。どこに足を乗せても覚束ない感じ、それこそ「真実」だ。
ワトソンとその「愛人」は、娘のシャーロットとパガニーニが互いを認め合ったのを知り、「私達が組んだコンチェルトを覚えてる?その後どうなったか」と顔を見合わせる。「平凡」な二人であれば(パガニーニ言うところの)「人並みの幸せ」が手に入った…と言いたいわけでもなく、映画はそのことを放っておく。
パガニーニが一聴して惹かれたシャーロットの歌には「才能」がある(作中において「ある」ということになっている)のか?私は特に「いい」と思わなかった。ウルバーニいわく「公平に言えば普通」。尤も、パガニーニに入れあげる彼が何らかの意図で嘘を付いたのかもしれないし、歌を聴く耳が無かったのかもしれない。更に言うなら、冒頭のオペラの幕間での演奏には誰も関心を示さなかったのに、ロンドンの酒場での演奏は(「G線のみ」という逸話通りのアクロバットがあったにせよ/彼を「パガニーニ」と知らない客達に)なぜ大受けだったのか、というのも分からない。考えたら分からないことだらけだ。


ヘルムート・バーガーが出てると前情報を入れておいてよかった、あれじゃあ分からない(笑)美青年達を従えての、「会わん」という短い第一声にちょこっと感動。何故この映画にと思ったけど、輝かせる人無くしては輝かない、凡人だったであろう(死んでないけど・笑)彼には合ってるかも。ああいう「普通」っぽさって好きだな。