ブラスバンドの社会史


「ブラスバンドの社会史」読んでます。


ブラスバンド」は「ブラバン」ではない。「ブラバン」は閉じた世界である。
冒頭、佐渡裕の文章から「(吹奏楽の世界は)閉じている」という言葉が引用される。吹奏楽においては、聴く人と演奏する人が一致しているため(聴くだけのファンというものが存在しないため)、内部で生産と消費が繰り返される。たとえば東芝EMIが出している「私の青春・吹奏楽部」を見てもわかるように、多くの場合、吹奏楽の経験を伴って鑑賞・消費される、独立したジャンルである。
(この本で扱おうとしている)「ブラスバンド」は、こうした、日本人がイメージする「吹奏楽」「ブラバン」とは異なるものである。「ブラスバンド」は、ポピュラー音楽であり、教育領域の外にあり、フレキシブルなものである。「ブラバン」を学校教育の枠から解放して、社会史・文化史的に語り、本来大衆に向かって開かれていた「ブラスバンド」を見直したい。


…というのが第一章の大体の要約なのですが、新鮮で面白かったです。
たしかに、私もブラバンやってたときは、それはそれ、だった。
日常で接する音楽には…当時習ってたピアノ、ソルフェージュ、テレビで流れる歌謡曲やCMソング、自分で買ったCD…いろいろあるけど、ブラバンは「ブラバン!」というカンジで独立してました。
ピアノ弾いてるときは、練習曲の合間にふと、いい加減な伴奏でテレサ・テン歌ってみたり、デタラメな旋律弾いて遊んだり、そういうことしてたけど、どうもブラバンは「重い」。勿論それは、枠に閉じ込められるだけで、楽器を自分のものにできなかった自分のせいでもあるんだけど。
実際問題として、楽器をウチに持ち帰ってまで練習するほどレベルの高い部じゃなかったので(マウスピースは持ってたけど)、あくまでも「学校の活動」でしかなかった、ということもあるかな。あと、この本でも指摘されてるように「(学校の)吹奏楽部に属して」始めて機能する、という前提をまぬがれえなかったこととか。
吹奏楽の歴史については考えたことがほとんどなかったので、次章から楽しく読みます。