
レインボー・リール東京にて観賞、2021年デンマーク、アナ・エマ・ハウデル監督作品。両親が営む農園に勤める20代の女性の人生が、ある女性との出会いによって変わっていくさまを描く。
明るい日光、あふれる緑、鳥の声、そよぐ風、多くの人に素晴らしく映るであろうその環境は、リウにとっては「母の手料理」をふるまう母親(ソフィエ・グロベル)に痩せてきれいにやら孫の顔が見たいやら色々言われる息の詰まる場でもあった。しかしそのリウの方こそ「父親と母親から生まれた時に決まる」家族に執着していると分かってくるのが面白い。母親には「家族より大事なもの」があり、父親(ラース・ミケルセン)は家に恋人を連れてくる。そんな中で自分の居場所を探してもがく時、時に他者を傷つけてしまう…傷つけあってしまう。自分にもそんなようなことがあるんじゃないかと考えた。
リウがアンドレアを待っているところに親友とボーイフレンドがやってきての顛末はマジョリティがマイノリティの中に入るよりマイノリティがマジョリティの中に入る方が当人にとって辛いということを描いているように見えるが、あれはまずリウが人間関係を疎かにしていたため。母親への「お兄ちゃんの男の恋人のことは深く聞いてたのに私の女の恋人のことには触れない」にはレズビアンの方がよりマイノリティであるという現実味があるが、母親が同性である娘には近しさから「異性愛」的なおせっかいを焼いていたのだとも考えられる。視点の転換を促してくるようなこうした部分には、新鮮さと同時に少々の危うさも覚えた。
リウは冒頭、農園で子ども達に種まきを教えているし、アンドレアは自身でいわく「美術のワークショップをやってる、本業は教師」。クリスマスにリウが父親というか家族にアンドレアから教わった「植物の波動を音楽にする」ことを伝える場面にはほろっとした。監督は先生というものをどう捉えているのだろうか。

その後に『エッグヘッド&トゥインキー』(2023年アメリカ、サラ・カンベ・ホランド監督)も観賞、いまだ少ないレズビアンの映画を劇場で続けて見られた。しかも『ヴィーナス・エフェクト』とあらゆる点で対照的で(それは勿論、中心が同じだからなのだ)面白かった。リウが血の繋がりにこだわり両親の離婚話に衝撃を受けていたのに対しこちらのトゥインキーは養子にして冒頭から親は長らく別居しているとのナレーション。
『ヴィーナス・エフェクト』ではアンドレアの伯父が彼女のことを「あの『子』は特別だから」と言いリウにもう大人だと訂正されていた。すなわち大人なのに(「普通」の女性がするようなことをしていないから)そう認められていないレズビアンの話だと言える。一方の『エッグヘッド&トゥインキー』は「5年生の時にレズビアンと自覚したけど認められてない気がする」、クラブに年齢制限で入れない、車の運転もできない、まだ子どものレズビアンの話。こういう映画が無きゃと思う。古より映画において重い意味を持つ「運転」を軽く扱っているのがいいし、エッグヘッドとの関係については、かつての恋愛映画では「性欲を向けてこない安心な存在」としてゲイの男友達が(失礼にも)多用されたものだが今はこちらが断れば済むのだからそんなことは考えなくてもよいと言われているようで清々しく感じた。