泣いたり笑ったり/もしも叶うなら

イタリア映画祭2021のオンライン上映にて観賞、たまたまいずれも父と娘の物語だった。


▼「泣いたり笑ったり」(2019年シモーネ・ゴダノ監督作)は公式サイトの紹介文によると「LGBTQを題材にしたコメディー」で、原題「Croce e delizia」は「椿姫」の一節より。

男性同士のカップルがどちらかの、あるいは互いの家族にカミングアウト…という映画は結構あるけれど、本作はそこに父と娘の問題を絡めている、というかむしろそちらが主題なんだから珍しい。カップルであるトニ(ファブリツィオ・べンティヴォッリョ)とカルロ(アレッサンドロ・ガスマン)が家長同士というのも面白い。
トニの娘ペネロペ(ジャズミン・トリンカ)が、「シビル・ユニオン法の成立デモには参加した」けれど父親の結婚を祝福できない事情が次第に見えてくる。父親に愛されなかった娘と、その父親に愛されている男との交流。「彼はおれを見るんだ、心の奥まで」とカルロ、「君も経験ない?」と問われて答えられないペネロペ。自分と異なりあれこれ構われている異母妹についての「すんなり賛成できるのはどうでもいいと思っているから」には、そうか、そういうこともあり得るのかと思わされる。

ペネロペの抱える問題は、カルロが息子に言う「(おれは異性愛者のカップルを不快に思わない、おれたち同性愛者のカップルを見て不快を覚えるなら、それは)不快に思う側の問題なんだ」じゃないけれど、大人は自分の側で認識を変えるしかないんだ、という解決を見る。
「被害者」だとてそうするしかないのかと思うも、長年の苦しみや悲しみが、「大変だったね、自分がそうだったら耐えられない」といったような、シンプルな、でもこれまで誰にも言ってもらえなかった言葉に癒されることもあるのだというのが面白かった。


▼「もしも叶うなら」(2019年ジネヴラ・エルカン監督作)はパリに暮らすまだ幼い三兄妹(翌年にはカナダへ移住予定)が母の妊娠中にローマの父(リッカルド・スカマルチョ)の元で夏を過ごす話。

8歳の主人公アルマが、ママの言う通り集中しなきゃと思いつつ禁食明けのお祈りの最中に甘いパンのことばかり考えてしまうというオープニング。三兄妹はローマの父の元でもお祈りを欠かさない。尤もそれは正教会の住所を持たせるほどの母親の影響だが。ともあれ大人でも子どもでも、人は移動する時に文化を持ち歩くものである。
当初父と恋人のベネディッタ(アルバ・ロルヴァケル)は彼らにあまり関わらないため、互いの文化は交流しない。父が車内で意気揚々と流すフリオ・イグレシアスで皆笑顔になるのは、いわば同窓会での鉄板の思い出話のようなもので「先」は無い。それが次第に、「ローマに15年住んでいるのに英語しか喋らない」友人など外部からの刺激もあって、アルマ曰くの「毎日が過ぎ去る」だけの日々が少しずつ変わっていく。

両親が1歳の頃に離婚しているアルマは二人が一緒のところを見たことがなく、昔の写真を眺めては「並んだら素敵に違いない」と思うばかり。親は親なのだから何かいいものを自分に与えてくれるはずと信じて疑わない。彼女にとって「愛」とは「結婚式の衣装を着て隣に並ぶこと」であり、母と父、父と恋人、知り合った地元の若者と自分のそんな姿を想像しては喜んだり悲しんだりする。
映画の終わり、アルマが鍋から(正教徒である彼女にとっては意味を持つであろう)「卵」を二つ、三つ、あたりからああそうだよなあ、と思っていたらやはり五つである。家族というものについてただただあることを願っていたのが、ひょんなことから階段を上ってある踊り場に到達する、といった話だなと思った。