僕の帰る場所



ポレポレ東中野にて公開初日に観賞。上映後にトークイベントがあり、短い時間ながら、監督は監督の、役者は役者の立場から話をしてくれたのが面白かった。制作の方によれば、本作はシステムから全く外れた自由な映画だとのこと。


「日本で難民申請中の外国人一家」の話は読み聞き、あるいはドキュメンタリーでも見るが、映画では意外にも初めて。映画にする(あるいは映画で見る)意味を考えた時ふと、二年前に特集上映で見たケン・ローチの「キャシー・カム・ホーム」(1966)に心が立ち返った。作風は似ても似つかないけれど、取材したことを盛り込んだ分かりやすい物語を作って伝えるという構造には通じるところがある。


父親を日本に残し三人がミャンマーへ向かう機内のカットを挟んで、日本とミャンマーそれぞれの、おそらく「普通」が映し出されるが、誰が見るかによって意味が全く違うということをこそ忘れてはいけない。実家に「帰った」母親が「変わってない」「変わった」と言うのは基準がそちらにあるから。彼女は眠れるようになり、子は眠れなくなる。


兄カウンがミャンマーの町をさまよう「クライマックス」の奇妙なこと。ここで彼は、到着時に少年の眼前で閉めた窓ガラスを開けてゆくのだ。そのうち音楽の先導もあり、これが希望に満ちた物語であると分かってくる。どういう類の希望かというと、自己喪失をまぬがれ得るという希望である。驚くべきことに、「帰宅」した彼は「(日本では)ママは寂しかったんだね」と成長までする。そっか、そういう希望の描き方もあるのかと思った。


ビルマ文字と英語のアルファベットの貼られた部屋で漢字の宿題をする子ども達。家族の会話は日本語だが(父と息子達がしりとりをするのが、英語字幕を含め面白い)両親の間ではミャンマー語でなされる。終盤、母親の子どもへの日本語がミャンマー語に変わる瞬間が忘れられない。一方で子らは日本人学校に通うことが示される。この塩梅がいい。この映画の一番の特徴はやはり、先に書いたように、複数の国を心に安定して持てる人間が増えるという希望を描いている部分だと思う。