
あまりのれずに見ていたのが、おばあちゃん(フィオナ・ショウ)がレコードの針に手を…というシンプルなスリルには引き込まれた。何ていい眺めなんだと思っていたのがここで活きて、窓の外のニューヨークの街が観客になる。ちなみにこのおばあちゃんが、孫と暮らすことになるも料理ができず(自身の朝食の皿にはグレープフルーツのみ)、全乗せピザを頼んだりしているのがよかった。
のれなかった理由は、まず、イマジナリーフレンドと「物語を作る」ことが関連しているのが当然というのがぴんとこなかったから。私は(こういう物語のセオリーに則って言うなら)幸せにもどちらも必要なかったクチだから分からないんだろうか?それから「イフ」(ブルーを演じるスティーヴ・カレルがこれを言う時の、さすがのセリフ回し!)側の立場をこういうふうに大いに盛り込んだ話が好きじゃないから。こっちにとっては「さよならを言う必要はない」だけど向こうは自分を認識してくれる相手がいなきゃダメだなんて、フェアじゃないと思ってしまう。
大人だからってさよならを言わなくてもいい、ましてやきみ(ビー/演ケイリー・フレミング)は12歳なんだから…と「イフ」が伝えてくれるという話なんだけど、私としては監督のジョン・クラシンスキー自身が演じる、手術前日に「明日何かあるんだっけ」とふざけて看護師にやめて下さいと言われるも「いやだね」と答える父親の生き方に一番ぐっときた。映画の終わりに「イフ」を再び認めた彼の生き方はその後、変わったんだろうか?どうもそういう、筋道立てて考えても詮無いと思わせるところもちょっと残念に感じられた。