EUフィルムデーズ2021

EUフィルムデーズ2021のオンライン配信で見た作品の、短い感想。


ユニコーンを追え(2019年エストニア/ライン・ランヌ監督)

エストニアの、こんなふうにリアルでカジュアルな感じの映画は初めて見た。「やり直しのきかない国」で男ばかりのスタートアップの世界に飛び込む若い女性=「私」の物語。映画の終わりには、当初逆向きに乗っていた列車と共に前進する。

本作によると、エストニアでもやはりサウナでビジネスが行われるようだ(というか、ビジネスにサウナが利用される)。この映画では主人公がさっさと服を脱いでサウナに入って皆で話して終わり。それが普通であってほしいけど、実際にはきついんじゃないかと考えてしまう。

セクハラされて会社を辞めたのにここへきてまたか、どこへ行っても…というのに加え、男性と行動を共にしていると恋心を抱かれてしまうという問題も出てくる。でもこの映画の男女の描写は誠実で、主人公のパートナーはまっとうな「普通」の男性として描かれているので、この点については大丈夫。

▼フェアプレー(2014年チェコ、スロヴァキア、ドイツ/アンドレア・セドラーチュコヴァー監督)

80年代のチェコスロバキアを生きる短距離走選手の少女アンナの物語。フェアプレーというタイトルはどうもしっくりこないなと思いながら見ていたものだけど、最後にそういうことかと分かる。

「自分の体は嫌い、みな唯の筋肉のかたまりとして見てる」。これは(社会主義)国家の強さの証明に躍起になる男達の手によって奪われた自分の体を取り戻す話だと言える。悲しいのは、その体制を嫌う母親こそが、娘を外へ出すために国の計画に加担してしまうこと。背後には、父親の亡命により母親はよい仕事につけず娘も進学できなかった…すなわち他に道がないという事情がある。

アンナがなぜオリンピック出場を願うのか、私には分からない(それを望む母親と違い、彼女は国外へ出る機会を得たいと思っているわけではない)。そう考えるとテレビに流れる表彰式の映像に彼女が素敵だなと憧れる場面が重要で、国家はそうして国民を育成しているのだと言える。


▼ことの成り行き(2018年スロヴェニアオーストリア/ダルコ・シュタンテ監督)

寄る辺ない世界に一人必死に生きる少年アンドレイが、施設でリーダー格の少年ジェルコに恋をする。例えば「悪女」ものは、所詮は男の方があらゆる意味で力があるから娯楽として成立しているわけで(「鬼嫁」を消費するようなものだ)私は嫌いだけど、そうか、対等な立場で悪い人間に恋をするってこういうことなんだと。そういう映画はあまりないから面白かった。

「皆が寝たがる女」に勃たず責められ手をあげてしまうオープニング。親は施設へ、施設の職員は「そのうちツケがくる」、大人達皆が自分と向かい合わずよそへ、よそへと追いやる中、ジェルコは力を入れたら力を入れ返してきた。それで恋におちた。だから「ツケがくる」と言われた時に完全に恋が終わるのだ。

施設の少年達のオラオラぶりがとてもリアルでよい。女の描写もこれまで見てきた映画の中で一番と言っていいほど最高。印象的な女が出てくるわけでもかっこいい女が出てくるわけでもなく、男の世界を描く時、女が出てくるならああいうふうにしてほしいという私の理想そのものだった。

▼ファイト・ガール(2018年オランダ/ヨハン・ティメルス監督)

私の名前の意味は「戦士」、両親が知らずにそう付けた…と始まるこの映画は、自分ではどうにもならないことにどう立ち向かっていくかという話。ここではそれは「怒りを自制できない」という問題であり、兄の糖尿病もそれに通じる。女性や少女の怒りが描かれることはいまだ少ないから、そういう意味で貴重な一作。加えてシンプルに、ボクシングをやってみたくなる!

自分ではどうにもならないこと(ここでは怒り)を制御できるようになれば、同じようにどうにもならないこと、例えば名前(例え変えられるにしても!)だって堂々生きてくるというラストが面白い。

しかし主人公の怒りの源は両親が所構わず諍いするところにあるので、そこに怒りをぶつけた方がいいんじゃないか、「解消」してしまっていいのか、両親がどうしようもないなら交流を図らなくてもいいという話なのだろうか、などと見ていたらいつの間にか丸く収まったのには少々拍子抜けした。