犬みたいな日の午後


U-NEXTでの配信開始を機に視聴、この邦題は原題の개같은 날의 오후の通り。1995年韓国、イ・ミニョン監督作品(監督は作中のみならずエンディングの歌も歌っている食堂の女性役イム・ヒスクの弟だそう)。「全国の気温が36度以上まであがった」記録的猛暑のある日、チャンミ(薔薇)アパートで女達が屋上に立て籠もり自分達のみならず全国の女性の団結を得る。

この頃の韓国映画をあまり知らない私には当時の団地での暮らしぶりも見どころだ。殆どの部屋にはエアコンがなく、玄関のドアは錠前式の家と暗証番号によるオートロック式の家とが混在している。携帯電話を持っている者が女性の中に一人(私はこの年にPHSを買った)、男相手の飲み屋で働く彼女と同僚のオンニが同居する部屋にはマドンナ、ブラピやレオの写真が貼ってある。暑さしのぎには今もそうだがとにかくスイカで、家でジュースにしたり人が集まれば食べたり。しかし子どもはアイスを食べたがり、エアコンや冷凍庫いっぱいのアイスがある婦人会長(キム・ボヨン)の家が羨ましがられている。

この映画は男からの暴力に反対するものだ。夫(イ・ジェラク)にいつものように暴力を受けたジョンヒ(ハ・ユミ)は停電もあり団地の敷地内で涼を取っている皆のところへ逃げてくる。無意識であれ外に訴えようとしたのだろうが男達は「よその家のことだから」。これと根が同じ当の夫の「家で話そう」然り、30年経った今の日本でも聞く話じゃないかと思う。女達も「私にだって夫がいるんだから命令しないで」と夫を拠り所にする者など様々だが、殴られている女性を放ってはおけず暴力夫に一人一人、やがては集団で立ち向かい、個人じゃない皆の問題とする。配信のあらすじにはコメディとあったけれど、確かに辛気臭くはないがこの夫が死ぬ場面などシリアスに撮られているのが印象的だ。

警察、すなわち男達は私達の話を聞かないだろうと女達は思う。連行されるのを恐れて屋上に逃げ立て籠もった10人は、立場の違いから当初は争う。冒頭団地の一室に修理に出向いた男が住人とするセックスが、『おくりびと』(2008年日本)じゃないけれど女の方はしたくないのに「普通」の行為として撮られているようで引っ掛かっていたら、当の女性キスン(イ・ジンソン)はその男の妻(作中では「ヨンヒのお母さん」と呼ばれている/ソン・オクスク)に向かって「強姦で訴えようかと思ったけど(男が)かわいそうでやめた」。ジョンヒも夫に「あなたのことを好きじゃない、あなたをかわいそうと思う自分が好きなだけ」と言うが、韓国の女性には男をかわいそうだと許さなければならない抑圧があったのだろうか。

キスンは自分が独身だから、夫がいないから軽く見られているのだと言う。「浮気者でもあなたには夫がいる」と。終盤のギョンスク(ソン・スク)の「私達は結婚に失敗したら人生に失敗したことになってしまう」からも女には結婚が、夫が全てとされておりその圧は今より更に強かったであろうことが分かる。こうして心情を吐露し合ううち女達は団結し、女性の記者の報道により全国の女性が集まりデモを始め、物資の支援に来る者も現れる(生理用品も入っていることが強調される)。たてこもり映画は多々あるが、この映画では住人とりわけ最上階の4階の女性、また空き巣に入った男二人(イ・ギョンヨンとキム・ミンジョン)も彼女らの味方である。システムから外れたこの二人は機動隊の男達と違い年齢差はありながら仲がいいのが面白い。ちなみにこれは上下の映画なので、上から韓国らしくおしっこやうんこをぶっかけるシーンが二度ある。

打ちひしがれたジョンヒは始め「話すことはありません」と口を閉ざすが、終盤の記者会見でははっきりと「今はただ、楽です」「これからは普通に暮らしたいです」。女達が求めているのは「普通の暮らし」である。朝起きて暴力に怯えなくてもいい暮らし、働けば給料がもらえる暮らし、独身だからと軽んじられない暮らし、トランスジェンダー女性として「普通」に生きられる暮らし(彼女は機動隊にアウティングされるばかりか行動を共にしていた女達にも当初あまりに酷いことをされるので見ていて大変辛かった)。婦人会長がカメラの前で「私達に惜しみない支援をお願いします、皆さん行動を起こしてください」と主張するのもよかった、日本じゃ今でも…今なら余計に?言えないことだ。