屋根裏部屋のマリアたち



単館上映のためか、ル・シネマはサービスデーでもないのにほぼ満席。面白かった。


パリで妻と暮らす証券会社社長のジャン=ルイ(ファブリス・ルキーニ)が、スペイン人メイドのマリアとの出会いから、同じアパルトマンの屋根裏部屋に住む彼女たちに惹かれてゆく。必ずしも何がいいってわけじゃなく、セリフにあるように自分にとっての「真の友」を探すべき、いやこの場合、出会えてよかったねという話。「フランスじゃ離婚できるんだ」という言葉に、実はそのことが表れてたように思う。


オープニングは映像も字幕も無いがやがや。メイドたちが入れ替わり立ち替わり、カメラに向かって自分のことを喋っているのだった。こういう時には「歯」を見てしまう、皆わりとキレイ(笑)
まず予告編からは分からなかったこと…舞台が1962年だと知る。メイドたちの一日は、窓からミルクなどの入った籠を引き上げることに始まる。そして順に水を汲みトイレを使う。夜は遅くまで食べて飲んで、歌い踊る。マリアがバスでやって来る場面にはブニュエル映画を思い出した。
スペインから来たメイドといっても世代や経験により色々。フランス人メイドの辞職に「組合を作らなきゃ」と憤慨するカルメンは、屋根裏を訪れ皆の名を知ろうとするジャン=ルイに対し「気まぐれにやってきて、豪華な部屋に帰るんでしょ」と冷たい。しかし最後に、普段は見向きもしないお参りの小旅行に「車」で行けると知った途端「田舎は好きよ」とめかして出てくるのがよかった(笑)一方、「搾取者を批判する」新聞を教会の前で配るカルメンに向かって「スペイン人の恥」とくってかかる信心深い者もいる。金髪のウィッグを着けて金持ちのフランス人男性に「ぶら下がる」テレザには、今この時を快適にする(仲間にも「利益」を分配できる)にはそういうやり方しか無いというのが、心に痛かった。


ファブリス・ルキーニは優しく無邪気で時に無神経なお坊ちゃん(育ちの男)を好演…というかまあいつもの彼。トイレの修理に始まり、電話を使わせ、言葉を学ぶ…下手したらマリア言うところの「却ってタチの悪い」主人になってしまうのが、ジャン=ルイの「よかれと思ったことをする」一点張りのキャラクターに救われている。
彼は「空気を読む」ことはしない。カルメンから内戦の際に両親を殺され引き回されたと聞いた翌日、夕食の席で、ド・ゴールを批判する教員について話す息子たちに向かい嬉々として「それならフランコはどうなる」と言ってのけるシーンには赤面してしまった。ラストだって、スペインといえば日差しだから!オープンカーなんだもの(笑・有名な車なのかな?詳しくないので分からず)
そして、出た定番!ラストサムライよろしく「異国の女の入浴を覗く」場面。これが切っ掛けで彼女を「意識」するようになるって、馬鹿みたいだといつも思う(コレのある好きな映画も勿論あるけど/性的なのが「馬鹿みたい」なわけじゃなく、もっと何かあるだろうってこと)。しかもその後妻に迫るなんて「最悪」(笑)でも自分に置き換えたら、盛り上がった気持ちを手近なところで済ますって、なくもない話かな。


始まってしばらく、ジャン=ルイの妻はどんな女性だろう?と思っていると、後頭部から登場。振り向くと少々「意外」な喜び…サンドリーヌ・キベルラン、好きな顔だ。いわく「田舎娘だったけど、なんとか彼を捕まえた」。確かに豪奢な部屋より屋根裏の階段の方が似合ってた。
彼女がマダム仲間たちとメイドについて話す場面では、陳腐な言い方だけど、人間をモノ扱いしてるのに違和感を覚えた。子どもについても、長男が証券会社の仕事を嫌がれば次男に向かって「それじゃあ跡継ぎはお前ね」。何も考えてない。そんな彼女が、仲間に「私たちは死人みたいなもの、真の友を探すべきなのよ」と言う場面には作中一番ぐっときた。だって「恋」したわけでもないのに、他人(夫)を見て自分の考えを変えるんだから。
二人の息子は両親を反面教師にしてるのか学校教育の影響か、「政治」意識が高い。そもそも「出稼ぎメイド」の話なんだから当たり前だけど、全篇に渡って政治の匂いが濃厚なところが面白かった。