
笑って楽しく見たけれど、ジョシュ・シャープとアーロン・ジャクソン及びその舞台を踏まえていないからなのか、私にとってA24の映画がいつもそうであるようにそつが無さすぎて少々物足りなく感じてしまった。二人が演じるクレイグとトレヴァーの母親エヴェリン(メーガン・ムラーリー)宅での一幕に何なんだこれはと思っているとママが「they」とファックしていることが明かされるなど無駄がない。私はギャグ映画なら父親ハリス(ネイサン・レイン)の「ハムの袋」(エンドクレジットでの「自伝のタイトルにしようかな」笑)がなぜそんなに強力にくっついているのか、みたいな要素が好きなので。ミーガン・ジー・スタリオンのラップも直球でかっこよすぎる(「それ」を望まないという意味ではない/これは私が女という部分のみはっきり当事者だからだろうか)。
(ケストナー『ふたりのロッテ』を原作とする『罠にかかったパパとママ』のリメイクである)『ファミリー・ゲーム 双子の天使』(1998年アメリカ、ナンシー・マイヤーズ監督)を下敷きにしているというその下敷き具合は、くそでかメニューから顔をあげたハリスの「二人が我々をはめたんだな」といった説明ゼリフに表れているわけだけど、冒頭3分で結末を予想させ多分15分あたりで双子の協力まで話が進むというテンポのよさがいい。めちゃくちゃな話のめちゃくちゃさを活かしている。サマーキャンプに来た少女二人はフェンシングの勝負から対立するが、トップセールスマンのシスヘテロ男二人は顔を合わせたそばから争うのが面白い(alphaとはそういう生き物ということ)。「双子を引き離すなんて虐待かな?」(終盤ハリスの対応するセリフあり)からの、しかし子どもに望まれたからといって「結婚」は別問題だろうという疑問にも応えてくれる。
映画冒頭の「これはホモセクシュアルが脚本を書いた映画である、ホモセクシュアルが脚本を書くとは珍しい、そして彼らはヘテロセクシュアルの男を演じた、勇敢なことに」といった内容の文に、昨年リバイバル上映で見た『ドゥーム・ジェネレーション』(1995)の「グレッグ・アラキによるヘテロセクシュアル映画」を思い出し、制作のいきさつが違うのだから文脈も違うとはいえ被るところがあるなと思った。抵抗の相手が被れば手段も被る。要素の混在ぶりもちょっと似ておりタイムリーに感じた。