After Life/アフター・ライフ


リッキー・ジャーヴェイス製作・脚本・監督・主演によるNetflixオリジナルドラマのシーズン2、全6エピソードを観賞。

このドラマ、自分(リッキー)がいつも言い散らかしていることを愛する人を失い自暴自棄になった男の所業という体でやってみたらどうだろうと作ったんじゃと見ているんだけども、スタンダップコメディでもシチュエーションコメディでもなく回復の過程を描くこのドラマでその言い散らかしを見てきた結果として伝わってきたものは、笑いって状況によるんだということである。リッキー演じるトニーの言っていることはそう変わらないのに、前シーズンではそう思わなかったのが、今シーズンに至ると、これ、コメディなんである。声を出して何度も笑ってしまった。回復途上の彼が誰かと関わった上で繰り出す言葉だから笑えるのだ。ポストマンのパットも「暴言?冗談かと思ってた」「あんたはおれを無視しなかった」と言うじゃないか。

前シーズン終盤、トニーは義弟のマット(トム・バズデン)に「ようやく他人にも悩みがあると気付いたか」と言われていたけれど、今シーズンでは彼の視点が広がったおかげで、「自殺してたら見られなかった」という周囲のあれこれが浮かび上がってくる。犬の顔のアップも初めて見た気がする(笑)これも前シーズンではそうは思わなかった、「ジ・オフィス」を彷彿とさせる職場でのシーンもあるけれど、これは「早く帰ってリサと夜を過ごしたかった」トニーが彼女を失い昼だけになった、元より空虚だった昼がもっと無になった、それが意味を持ち始めたから、そうなったのである。

トニーは自分と看護師エマ(アシュリー・ジェンセン)の関係が停滞していることのたとえとして「恋はデジャ・ブ」を持ち出す。毎日一緒にいて楽しい、それだけでいい、今はそこから前へ進めないと。そしてドラマは(若干「ネタバレ」になるけれど)それでもいい、と終わる。これはトニー達が作っている地元新聞の内容…その人が今いる場所を否定しない…に通じるところがある。それにしてもトニーが周囲の人に「君もいつか運命の人に出会う」「父親を愛しているのは当然だ」などと言う時、作中の彼が気を遣っているのか本当に思っているのか、加えてリッキー自身はどう考えているのか、全く読めない。私にとってリッキーってそういう点が妙に引っ掛かる人だ。

このドラマではベタな選曲の数々も見どころ(聞きどころ)だけど、ボウイからは「Can You Hear Me」というのがいい。ボウイ亡き後のリッキーのコメントを思い出すとまた、話の内容とかぶるような気がして胸が痛い。


David Bowie • Can You Hear Me • Live from The Philly Dogs Tour • 1974