ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡


ドキュメンタリーは「The Jean Genie」とフレディ・マーキュリー追悼公演での「All The Young Dudes」という見慣れた映像に始まるが、その直前のボウイの「ミック・ロンソンは収録よりもライブの時の方がずっとワイルドだった」との語りでこれまでと少し違って受け取れる。その後もそういえばそうだなあということばかり、だってロンソンの仕事の結果はもう私達の体に染み付いているんだから。

The Whoの「Baba O'Riley」にのせて二人が出会った頃のロンドンが映し出されるのに、「DAVID BOWIE is」等で知るボウイの生い立ちを思う。彼がしつらえた舞台に「ミュージシャンなんて排出されない」ハルの長屋に育ち芝生を刈っていたロンソンがやってくる。「何かで名をあげたかった、故郷に戻りたくなかった」と語る彼とボウイとを比べてしまった。どちらがどうというんじゃない、異なる二人。

ボウイが注目を集める手段として同性愛を利用したと幾人かが述べるが、私もそう考えている。当時最先端の社会運動だったのかもと考えてもいる。映画が彼の「スパイダーズの三人は間違いなく当時最高のトリオだった」で締められるのに、そうだ、ボウイは常にその時々の最先端を作って渡り歩いてきたんだと改めて思った。面白いのは…あるいはそうだろうなと思わされるのは、彼が世間から攻撃されることを恐れつつ最先端を歩いていたのに対し、アンジーによればロンソンの方は「純朴ぶってただけで別に(非難されることを)気にしていなかった」というところ。

ジョー・エリオットの「(ボウイとの仕事において)ロンソンはプロデューサーとして名前を出されることはなかった」あたりでイアン・ハンターとのツーショットが挿入され、モット・ザ・フープルへの加入の話と至る。ミュージシャンとしてのロンソンの物語では、ハンターが初めて登場するのはモット・ザ・フープルが解散の危機に瀕した時である。以前読んだインタビュー記事によると彼はギタリストを探す必要に駆られるまで親友であるロンソンのステージを見たことがなかったそうだが、このドキュメンタリーからも、二人はどちらかが弱ると組んでいるような印象を受ける(「印象を与える」程度の描き方に留めているのがこの作品のよいところである)。それでもって楽しくかっこよく活動できるというのがいい。

話が晩年に及ぶと、とりわけ身近な人の話においては、ロンソンが金銭的に困窮していたことが強調される。「美容師と庭師のカップルで印税の知識もなかった」と自分達を語る妻のスージーの口からハンターは金払いがよかったとの言葉が聞けたのが面白かった、そうなんじゃないかと想像していたから。ロンソンが「イアンはいい奴でうまがあった」と言う理由にはそれも含まれているんだろう。それにしても彼女の「モリッシーは最後の上客」という言葉が心に残ること、お金、お金の話でもあった。