サーカス・オブ・ブックス


Netflixにて観賞。2019年アメリカ制作、LAのゲイ・ポルノ専門書店「サーカス・オブ・ブックス」を30年間営んできた夫婦にまつわるドキュメンタリー。

台所の一家を捉えたホームビデオに幕を開ける本作は、その場でカメラを手にしていた娘レイチェルが長じて現在の両親を追うドキュメンタリーである。身内の業績を記した作品としては近年ならクラブのオーナーの孫娘による「ディヴァイン・ディーバ」などもあるけれど、この映画からは家族の対話の中でたまたま本職の映画監督がカメラを回していたとでもいう感じを受ける。弟のジョシュが「文をまとめるのは苦手だ」と言っていたけれど、それが一家のもしかしたら特徴で、監督自身が「なぜ撮っているのか分からない」と言いつつも、それでも映画って、撮っているうちに(こちらとしては、見ているうちに)あるところに辿り着くものだと思わせられる。

関係者へのインタビューは、サーカス・オブ・ブックスの前身となる書店の存在によって救われたという男性達の証言に始まる。この店にラリー・フリント絡みのゲイ雑誌を卸していたカレンとバリーのユダヤ人夫婦が家賃の滞納に目を付け経営に乗り出し、シルバーレイクに移転し、ポルノ映画の配給も行うようになり最盛期を迎えるが、30年の時が経ち景気の悪化とインターネットの隆盛により閉店することになる。「場」が失われるのを嘆き惜しむ者達の言葉の数々に、この時勢、更に違う要因で各自が引き籠らざるを得なくなることがあるんだからと複雑な気持ちになる。映画は後半にはゲイやポルノを取り巻く狭義の社会問題から離れ家族の中へと潜ってゆくが、最後には社会と家族との結びつきを見せる。それを阻むものは何なのかという話だとも取れる。

カメラを向けてもにこにこ笑っているだけの父バリーに対し、「こんなもの使う?」「コラージュでも作るの?」/「私は自営業者なんだから指図は受けない」「いちいち批判しないで」などと娘とやりとりしていた母カレンが話の中心人物だとやがて分かってくる。ポルノスターのジェフ・ストライカーが「彼らはぼく同様、ポルノをビジネスとして見ていた」と言うが、二人の姿勢はまさにそうだった(ただし「よい」やり方で、とりわけ従業員に対しては「盗めばクビ、それだけ」で後はとにかく解雇に至らないよう苦心して)。家庭では家業の話は一切なし、レーガン政権下で囮り捜査のあげくFBIに踏み込まれもする中、家と書店とは完全に切り離されていたと言う。そんな中、敬虔なユダヤ教信者であるカレンにとっては、息子ジョシュのカミングアウトは「天罰」だったのだ。

「ゲイ」は悪い言葉だと信じて育ったジョシュは自身がそうだと分かるまで、更にカミングアウトを決意してから実際にするまで長い時間が掛かったと言う(レイチェルの「なぜ私に言わなかったの」に答えて「君の世界はゲイすぎて、自分と全然重なるところがなかった」…そりゃそうだ、人は色々だ)。「ゲイの従業員と働くのは何でもなくても、息子がゲイというのは唐突すぎた」と当時を振り返るカレンは、自身に染みついた宗教観からくる考えを改めるべきだと考え神学を学び直して変化する。映画はPFLAG(レズビアンとゲイの親・友人・家族の会)の活動に勤しみプライド・パレードを歩く夫婦の姿を捉える。娘の「ママのやってることが広すぎて映画をまとめられなくなった」に、母は「これも私の『仕事』なんだから」と返すのだった。