運命は踊る



身内が戦死したという映画は多々あれど、知らされたその時を描く映画は少ない。冒頭、家に入ってきたイスラエル国防軍のスタッフがダフナに手早く注射をうち、ミハエルの携帯をいじって水を飲むようタイマーを掛けるといった描写に、ずいぶん踏み込んだことをするものだと思う。駆け付けてきた身内の犬の声にも似た嗚咽、慣例に沿って死亡告知を考える弟、葬儀で服を裂くのにはこんな理由がと説明する従軍ラビ、映画は次第に死体をめぐるコメディならぬ死体無き死のコメディとでもいった様相を帯びてくる。しかしそれもミハエルが一人、トンネルを抜けたかのようにあることに気付くまでだ。


「母さんは兄さんの言うことを分かった?」と弟に問われたミハエルは「全てとも皆無とも言える」と返すが、年老いた恐らく認知症の母が「孫で兵士のヨアキムが死んだ」ということの自分にとっての意味を分からないというのは、実は皆そうなのだ、「愛する人を戦争にやる」ということの意味を誰も真に理解していないのだ。誤りの訃報体験(それは臨死体験のようなものだ)によりミハエル一人が気付いてしまう。軍は彼を精神錯乱者として扱い、妻ダフナには夫をして「今の君は君じゃない」と言わしめるほど上機嫌にさせる薬をうつ。こうして皆、静かにさせられる。


この第一部は面白いのに二部、三部と進むに従い凡庸になっていくなと思いながら見ていたものだが、終わってみれば実にこの三部で完成する物語であった。二部でミハエルの息子が、父はいったん聖書を売って赤い表紙の雑誌を得たならば次に入手する時も雑誌の方にする、すなわち自分の行為に縛られて生きる人であると語り、三部ではダフネに「皆あなたの弱さに気付いてる」と指摘された自身が戦地での忘れられない体験を語ることで、一部で彼の心の底に何があったかが分かる。長くすれ違っていた夫婦は本音を語り合うことで和解し、傷と傷とを重ね合わせて踊る。


Netflixのドラマ「ユニークライフ」シーズン1で、自閉症のサムのために学校のダンスパーティが無音(ヘッドフォン使用)で行われるが、今年は色々な意味で音の無いダンスシーンを見せる作品が多い。「クワイエット・プレイス」しかり本作しかり。音が無い方が豊かという時期なのかもしれない、「今」は。本作では一部でミハエルの母が、二部で息子が、三部で彼ら夫婦が踊るが、施設にいる母だけが実際に鳴り響く爆音で踊っているのは、色々なことが分からなくなったら大きな音を聞かないと踊れないという意味なんじゃないかと考えた。