処刑教室


自称「ジャーナリスト」の冴えない男子高生ボビーは、憧れのフランチェスカミーシャ・バートン)に頼まれ、学内で起きた試験答案盗難事件の犯人を探すことに。生徒会長のポールに目をつけ新聞一面ですっぱ抜き、皆の人気を得た上にフランチェスカとも親しくなる。しかしポールが犯人でないと気付き、真相解明に乗り出す。



タイトルと、ブルース・ウィリスが「校長先生」というのに惹かれて観たけど、彼が不良生徒を処刑しまくる映画じゃなかった(笑)原題は「Assassination of a High School President」、ブルースは軍人あがりの校長役、たまに出てきて場面をシメる。
軽快なサスペンスコメディといった作風だけど、いい意味でなく、登場人物の内側に全く潜っていかない、つるつるした感じを受け、あまり入りこめなかった。そもそも目下の夢は夏休みに大学の報道講座を受けること…という主人公が精力を傾けるのが「学内で起きた盗難事件の犯人探し」というのがぴんと来ないけど、観ているうち、学校が舞台なら、これがジャーナリズムなんだと思えてきた。


それにしても「学園の女王」がミーシャ・バートンだなんて!登場シーンに「彼女がやってくると皆が注目する」とボビーのナレーションが付くんだけど、地味な女教師の出勤にしか見えず。美醜の問題じゃなく、やつれてるから。
彼女と初体験を済ませた翌日、ボビーの縦列駐車が上手くなってるのには笑った。他に「面白かった」のは、彼がいつも持ち歩いてるメモ帳に鉛筆ぶっさされるシーンと、女の子がおしっこ漏らすシーン(私が面白いって言うんだから、もじもじとじゃない)。


終盤ボビーが「真相」に気付く際、これまでの出来事がフラッシュバックするので、全然関係なさそうなあれこれが繋がってたのか!と思いきや、やっぱり全く関係ないってのはひどい(笑)
でも、私が普段観てる作品が「厳選」されてるだけで、映画としてはこれが「普通」なのかも。それより痛感したのは、昨年「愛しのベス・クーパー」を観てから、映画に「学園の女王」が出てきても、(HSMのように「様式美」を追求してるもの以外は)以前より無意味に思えてしまうってこと。その物語の「学園の女王」は生きてるか?そもそも必要なのか?と考えてしまう。