ピアノマニア



子どもの頃、年に何度か?学校から帰るとヤマハの調律師の人が来ており、ピアノをポーンポーンと鳴らす音がしたものだ。その後にピアノを弾くのは何となく楽しく、また「良く」聴こえるような気がした。でもまあ、ピアノはそう長くやってないし、調律師が何をしてたのか分からずじまい。



「今の音に、名前を付けようか」


ピアノ調律師シュテファン・クニュップファーを追ったドキュメンタリー。バッハの「フーガの技法」のレコーディングを一年後に控えたピアニスト、ピエール=ロラン・エマールとの仕事を中心に、その一年が描かれる。


本作にはナレーションや「インタビュー」らしきものはない。そこにある「言葉」は、シュテファンと周囲の人々との会話、あるいは(隠された)こちらの問いに答える彼らのセリフのみだ。観ているうちにそれが当然なのだと思う。
冒頭ラン・ランはシュテファンに対し「甘く、柔らかい(ドルチェ)」音が欲しいと要求する。その後も言葉を尽くして自分の求めるものを説明する。一方登場時のエマールは、主に身振りで「こういう音」を求め、そのあげくに冒頭のセリフを口にする。といっても新しい言葉を作るわけではなく「これを『ビブラート』にしよう」。後半レコーディングスタッフがエマールに「レッジェーロ(軽く、優美に)」と言うとすんなり通じる。音楽用語って、音楽に携わる人間が、音と言葉とをダイレクトに繋げて、こうして出来たんだなあと面白く思った。逆に、音楽用語ではおそらく表現できないものを、何とか相手に伝えようとするやりとりを見るのも楽しい。


「番号」で呼ばれるピアノも立派な登場人物…キャラクターだ。削った木を組み合わせる工場?での様子が挿入されるけど、ああして同じように作られるのに、(プロにしてみれば)明らかな「差」が出るってのが面白い。シュテファンと共にピアノを弾き比べたピアニストの「ぼくはこっちの方がいいと思う、惹かれるものがある、もしかしたら『表面的な輝き』かもしれないけど」なんて表現が興味深かった。
高いステージにピアノを上げるのにスタッフ三人がかりで頑張ってる様は、ドキュメンタリーで見る、水族館の巨大動物の運搬のよう。後にオルガン演奏者が「グランドピアノは大きすぎる、人間の手には負えないよ」と言うのが可笑しい。


シュテファンの仕事着はジーンズにエプロンといった感じ、周囲のピアニストも、リハーサルの時などそれに近い。シュテファンの用いる「打鍵器」にBOSCHの工具が使われてるのが、音楽業界でもこんなの使うんだ〜という感じで面白かった。