氷上の王、ジョン・カリー


最高のドキュメンタリーだった。案外とない、美とは素晴らしいと心底実感できる映画。

クリスマスにもらった5ポンドで買えるだけのレコードを手に喜び勇んで帰るも父親に「もっと実のあることに使え」と言われた少年が、人生の終盤に「あなたの功績は」と問われ「人生は現実的なことだけじゃつまらない、何かを見て心を動かすことも大切だ、ぼくはそれを与えることができた」と答える。ジョン・カリーの中には自身の言うように悪魔もいたろうが、本作はそれを深くは追わず…だって真には分からないことだから…ふんだんな記録映像を駆使して美に生き人々の心を動かした彼の功績を辿る。

「やりたいのは音楽を全身で表現すること」と言うカリーのドキュメンタリーにふさわしく、音楽映画としても最高の出来である。年代毎にその時々の彼が踊った音楽で章が始まるという作りで、それにのせて人々の話を聞いた後にカリーの踊る姿で曲が完璧となり幸せが打ち寄せる。「氷の上とは真逆」のビーチで過ごした年とカンパニーを解散し病身でイギリスに戻った年のみ例外で、その後の、エンディングにも流れる「美しく青きドナウ」に涙が出た。

それにしても「牧神の午後」の筆舌に尽くし難いこと。ニンフ役のスケーターの解説も実に適切で、「バレエは駄目だがスケートならスポーツだから」と父親に許可されたスケートがバレエと結び付き単独では出来ないことを表現してのけるという、他人だから言える言葉だけれどもその数奇な結実とでもいうものに胸打たれた。続くロイヤル・アルバート・ホールでの「バーン」、「ウィリアム・テル」、怪我をした、いやさせた後の「ムーンスケート」(「動きは行きつ戻りつするだけ」)も圧巻。

妙に心に残ったのは、カリーを初めての男の恋人としたスイスの元スケーター、ハインツ氏の「ジョンを初めて見た時、何てnaturalでwonderfulなんだと思った/完璧で、他の誰とも違っていた」との言葉。「自然」とは皆と同じという意味じゃない。(「子どもならいいが」)男のスケーターにgracefulであることは必要ないと言われていた時代、要らないとされているものばかりでも、彼には彼こそが「自然」だったのである。