光をくれた人



原作は未読。予告には惹かれず、マイケル・ファスベンダーも得意じゃないので迷ったけれど、見てよかった。素晴らしく分かりやすいメロドラマで、好きなタイプの映画だった。
ただ、前半の自転車を懸命に漕いでいるかのような力強さに対し、後半は前半で稼いだ動力で自然に進んでいるかのような脱力した感じを受けた。ハナとドイツ人の夫のパートが軽すぎる。あまり力を入れると、観客が早く子ども返せよ!としか思わなくなると判断したのかな(笑)


1918年と年号が示された後、アヴァンタイトルで、これは戦後の話だ、戦争があったんですよと念押ししてくる。「西部戦線よりはまし」と灯台守の仕事を希望するトム・シェアボーン(マイケル・ファスベンダー)は、目の前の相手や勿論こちらには視線を合わせず、戦争の英雄として送り出される。
トムとイザベル(アリシア・ヴィキャンデル)の暮らしが始まってしばらくそのことを忘れてしまっていたけれど、嵐の晩に彼が「大丈夫だから」と灯台に向かうのに、自分は大丈夫だからと出て行くなんて、まるでちょっとした戦争のようだと思った。尤もこの場合は彼女の方こそ瀕死で戦場にたどり着くんだけども。


冒頭、トムが任地に赴く汽車を捉えた遠景が、まるで地図にピンをさすように見えていいなと思う。彼がイザベルを初めて見た時の白いドレスの柄と、夕食の席で彼女が彼のためにちょっと掲げるグラスの柄が同じに見えて、歓迎の気持ちの表れのようで、それもいいなと思う(このドレスは勿論、彼が目にするハナ(レイチェル・ワイズ)の喪服と対になっている)。
映画に惹き込まれたのは、イザベルの家をトムが二度目に訪ねた際にドアを開ける母親の表情。私には、「どこから来たの?」とイザベルが赤ちゃんを抱く部屋へ入ってきたトムのそれと同じに思われた。その後の全てを悟っているかのような。ちなみにこの母親役の女優さん、どの場面も顔が決まりに決まっており(こういう映画ではそれでいい)私の今年の助演賞候補だ。終盤の船の中で彼女だけが振り向かない場面も、それゆえにとても効果的である。


ピアノによって語られる映画でもあった。灯台にやって来たイザベルがまず触るのはピアノである。トムいわく「灯台より古いんじゃないかな、音が狂ってる、遺物だよ」。調律されないピアノと暮らすなんて、前任者の不幸はそのせいじゃないかと考えた。ある不幸な時、イザベルはその前に座って三つ、狂った音を鳴らす。やがて墓の前で結婚指輪をした手に固い石の数々を握る時、音が流れてきて、ピアノはいったん「直る」んだけども。
トムが墓碑銘から真実を知り居てもたってもいられなくなる時に流れる曲の不協和音は、「正しい」(調律された)音を「間違っ」て使うとすれば、まるで洗礼式の時に「孫」を抱く両親の後を歩くイザベルのようだ。あんな立場になったことなんて無いのに、あの気持ちが痛いほど分かるような気がする。両親は彼女以外の子を失い、「でもまた命が生まれるかも」と思っている、それを知っているわけでしょう?それだって叶えられた。


冒頭に挿入される、任務に就いたトムが一人蒔割りをするシーンで、マイケル・ファスベンダーは(好みじゃないけど!)美しいなあと思ったものだけど、振り返るとこれは、「生きるために生きたい」と言っていた彼が確かにただ生きていた、平穏な頃の動きであった。イザベルによって「蘇った」後の彼の「動き」の数々には情のようなものがある。
トムが灯台への長い階段を上り下りする何度もの、色んなふうに撮られたシーンも面白いけれど、イザベルを抱きしめる二度のシーンが印象的だ。「It's over」の時には彼女の気持ちになって、終わりなのになぜ?と振りほどきたくなるし、「It's OK」の時にはやはり彼女の気持ちになって、離れ難くなる。ともあれどうにも、彼の肉体を感じる映画だった。